2016/07/30

少年文庫の夏



空高く入道雲。アスファルトに陽炎が揺れ、街路樹からジイジイと蝉の声が聞こえる。

気がつけば、とっくに夏休み。駐輪場でも子供たちの姿が目につくようになってきた。

さて先日、隣駅のシネコンでクドカン脚本・監督の『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』を観たのだが(地獄でロック!映画はメチャメチャ面白かった)、その道すがら駅ビル内の「ジュンク堂」をプラプラ……何気に覗いた児童文学コーナーで、遠い日の夏休みを思い出す懐かしい本を発見。表紙の絵を見ただけで心が躍り、ほとんど反射的に買ってしまった。(子どもの頃の夏休みと言えば、プールとアニメと少年文学が定番だった)

本のタイトルは『飛ぶ教室』(岩波少年文庫)

裏表紙に《ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなセバスティアーン。個性ゆたかな少年たちそれぞれの悩み、悲しみ、そしてあこがれ。寄宿学校に涙と笑いのクリスマスがやってきます》と、本の簡単な紹介があり、「小学45年以上」と記されている。作者の名前とその中に書かれていたある言葉以外、ストーリーも登場人物もすっかり忘れてしまったが、私が読んだのも小6~中2の頃だったと思う。

で、期せずして50余年の時を経ての再読となったわけだが、「これほど素晴らしい本だったのか!?」と、今さらながら5人の少年たち(&良き大人たち)の“知恵と勇気の物語”に心を奪われ、何度も胸を打たれっぱなしの数時間……短くも大切な夢のような出来事の中に、子どもたちの柔らかな心に寄り添う言葉と、大人たちの堅い心を溶かす言葉がぎっしり詰まった名作だった。(「少年文庫」とはいえ、子どもだけに読ませておくのはもったいない!)

作者はドイツの国民的作家エーリヒ・ケストナー(18891974)。ケストナーがこれを書いたのは1933年。この年のはじめ、ドイツはナチス政権の手に落ちた。


訳者の池田香代子さん(「あべしね」ツイートで有名な翻訳家)は「あとがき」でこう書いている。
《ナチスにとって、ケストナーは好ましくない作家だったので、図書館の棚からケストナーの本が引っ込められたりしました(自由にものが言えなくなる時代は、こんなふうに始まるのですね。わたしたちもおぼえておきましょう)。それでもなにくそと、ひと夏かけて書きあげられたのが、この作品です。この先どうなるのか、ケストナーは不安でいっぱいだったと思います。そんな時だったからこそ、ケストナーは腕によりをかけて、とびきりのクリスマスプレゼントを当時のドイツの子どもたちに贈りたかったのだと思います》

《ケストナーは、クロイツカム先生の口を借りて、「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」と言っています。戦後、ナチスに協力した人だけでなく、なにもしないで黙っていた多くの人びとにも責任があるのではないか、ということが言われました。クロイツカム先生の言葉と重なりますが、でもそれは、事が起こってしまったあとの反省です。ケストナーは、ナチスの時代が始まったとき、そういうことがもうわかっていたから、沈黙する時代にむけて、命がけの警鐘を鳴らしたわけです。ケストナーってすごいな、と思います》

昔、好きだった言葉「かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!」(賢さのない勇気は、乱暴にすぎない。勇気のない賢さは、冗談にすぎない)も、この本の長い「まえがき」の一文だった。

その一文はこう続く。

「世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。勇気のある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう」

『飛ぶ教室』から80余年。いまの私たちは進歩の道を歩けているのだろうか。

 

2016/07/24

東京は、暑くも、熱くもない。



ここ10日ばかり、本業もバイトもそこそこ忙しく(ポスター制作コンペが2点、バイトも飛び石で入っていた)、その合間に呑み会があったり、隙間で映画を観たり、私なりに密度の濃い日々を送っていたが、久しぶりの土日休み。

近場で映画かアートでも……と思い、昨日は、練馬区立美術館(電車で10分の中村橋から歩いて3分)で開催中の「しりあがり寿の現代美術 回・転・展」に行ってきた。
(昔は抱腹絶倒ギャグマンガ「流星課長」で大笑い、3.11後は「あの日からのマンガ」で震災後の日本と日本人の姿を見せられ考えさせられ、今は風刺4コマ「地球防衛家のヒトビト」で日々楽しませてもらっている漫画家のシュールで笑えるアート展)

「回・転・展」と名付けるだけあって、ヤカン、静物画、歴史(マンガ&オブジェ)、日常品(ティッシュペーパー、CDケース、荷造りヒモ、下着、写真等々)、20分映像「回転道場」などなど……とにかく色々なものが回っていたが、私が顔(耳)を寄せて見入った(聴き入った)のは「回転体は行進するダルマの夢を視る」と題された、歌いながら回転するたくさんのダルマ。

オレは強いぞ すごいんだぞー ヨッホヨッホホ そりゃいくぞー♪

しりあがり寿氏曰く「まぁこれはね、ダルマは強がっているわけです。偉そうな歌うたいながらどこを目指すでもなく自分の周りしか見てないような。こういう人たちいるよね」とのこと。
(その代表格は、安倍晋三と共和党のトランプだろうか)

しばし、その不気味な歌声が、呪文のように繰り返し頭の中で鳴っていた。

美術館を出たあとは「中村橋」駅前を軽く散策し、14時頃帰宅。
郵便受けに福岡の友人HIRANO君からの便りがあった。(さすが親愛なるわが友。参院選の際、東京で暮らす息子のJUMA君に「三宅洋平」への投票依頼をしてくれていたようだ)

そのハガキの出だしの言葉は、《暑いですね。東京は都知事選でもっと暑いのではないですか?》

……連日真夏日の福岡で過ごす彼には申し訳ないが、ここ数日、東京は30度を下回る日が続きさほど暑くもない。遠方から気にかけてくれている「都知事選」も盛り上がっているのは各陣営と支持者だけ。私の周りはむしろ寒いくらいで、ちっとも熱くない。

先日、仕事の打合せを兼ねてお茶した盟友かつ親友のMIYUKIさんやUEちゃんも「誰に入れようか?」と頭を悩ましているようだし、バイト仲間との呑み会の席でも「どうしようかなあ~」の声ばかり。(その中で何となく名前が挙がったのは「マック赤坂」と「鳥越俊太郎」の二人)

一体、この“寒さ”はどうしたことか?と思うが、答えは簡単。「自公に一矢を報いたい」と思っている人の多くが、野党統一候補にあまり魅力を感じていないからではないだろうか。
私的にも、知名度が高くリベラルな思考の持ち主とはいえ、どうしても76歳という年齢が引っ掛かる。加えて、「住んでよし、働いてよし、環境によし」という人柄の良さとセンスの古さが同居しているようなスローガンも平和すぎてリアリティを感じないし、You Tubeで何度か聴いた街頭演説も琴線に触れることはなかった。

かといって、自公推薦の元岩手県知事・増田寛也や(亡き叔父の大親友の息子さんだけど…)、
「日本会議」直結の政治家・小池百合子に東京の未来を託すなどという選択はありえない。
色々な意味でシンパシーを感じるマック赤坂は落選確実だろうし、やはり鳥越俊太郎に一票を投じるしかないか……と、すっきりしないアタマで来週の日曜のことを考えていた昼下がり。

今夜は、9時からNHKスペシャル、10時半から日テレ「そして、誰もいなくなった」、1050分からBSプレミアム「伝説の武道館ライブ 忌野清志郎」と、珍しく観たい番組が目白押し。
ひとまず「都知事選」は忘れて、テレビに集中します。

2016/07/14

雨の駐輪場で。



断続的に降る雨の影響で利用者も少なめだった昨日。

午後2時近く、いつものように各ブロックを巡回していたら、後ろの方から「Yさ~ん」と私を呼ぶ女性の声が聞こえた。

振り向くと、お互いを名前で呼び合う数少ない親しい利用者の一人、Sさんだった。

Sさんは御年73歳。病気で自宅療養中のご主人とピアノ教室を営まれている娘さんとの3人家族(&ペットの“ピーターラビット”が数匹)……人生の先輩にこう言っては失礼かもしれないが、純真な少女がそのまま年をとったような、心に何の垣根も感じられない、気さくで素直で、とても可愛らしい方だ。

先週お会いした時は、「もう、ショックで……悲しくて、淋しくて……生きていく気力もなくなった」と、かなり落ち込んでいたが(聞けば、最近、家族ぐるみでお付き合いをしていた30年来の大親友を亡くされたとか。“大親友”は一人暮らしの男性で、長く糖尿病を患っていたらしい。「私がもっと食事とか甘いモノの食べ過ぎとか注意してあげればよかった」と、駐輪場の片隅で、その方との思い出の写真を私に見せてくれながら、一時、Sさんは涙を流し悲嘆に暮れていた)、昨日は、少し笑顔が戻った感じ。

で、仕事も暇だったので、ちょっと立ち話……

「この前、久しぶりにNさん(私の同僚)と会ったんだけど、別人のように太っていてびっくり。お腹がすごく出ちゃって……炭水化物ばかり食べているせいだって言っていたけど大丈夫かしら」
「え~、そうですか……彼とは(勤務シフトの関係で)1ヶ月半くらい会ってないので分からないけど、“炭水化物ばかり”じゃダメですよね……ひょっとして、ほとんど主食だけで済ませて食費を切り詰めているのかも。経済的に苦しくて煙草をやめたって話も聞いたし」(数か月前まで、他の現場と掛け持ちで働いていたNさんだが、持病を考慮して仕事を減らし、今はこの駐輪場だけ)
「あ~、そうかもしれない。年金ももらってないそうだし……でも、奥さんが働いていらっしゃるでしょ。それでも厳しいのかしら?」
「う~ん、ここの給料は小遣い程度であまり家計の足しにならないし、厳しいでしょうね……」

と、Nさんの窮状を察しつつ、梅雨空に言葉を投げたところで、急にSさん話題転換。


「そうそう、それでね、彼に、この前Yさん(私)に話を聞いてもらって、励ましてもらったって話したの。そしたらね、Yさんのことをすごい力持ちだって、言ってたわよ」
「えっ?力持ち……ですか?私が?」(Nさんの前で重い物を持ち上げた記憶なし)
「そう、すごく元気でパワー?パワフル?な人だって」
「あ~、パワフルって言ってましたか……実は、そうでもないんですけどね~、けっこうヤワで……でも、そう見えるのなら、嬉しいですけど」
「見えるわよ。私だっていつも元気をもらっているもの」
「それはもともとSさんが元気な方だからですよ。それに私もSさんと話していると気持ちが和らぎますから、お互い様ということじゃないですか」

「とにかく、空元気でも何でもいいんで、お互い元気を出して生きていきましょうよ。何か辛いことがあってもこうして話ができるんですから」
「うんうん、そうよね。元気を出さなきゃね……これからもよろしくね」
「はい、こちらこそ。次の日曜(17日)は、久しぶりにNさんと私が一緒にいる日なので、あまり暑くなかったら、また気晴らしにでも寄ってください」
「ありがとう……じゃあ、また今度」

と、ジメジメした暑さの中、駐輪場に何となく心地よい風が流れ、丁度晴れ間がさした所で、Sさんは自転車に跨り、いつもの優しい笑顔を浮かべて帰って行った。

 

 

2016/07/12

第二の国歌


と勝手に思っている「上を向いて歩こう」は、60年安保闘争の際、国会を取り巻くデモに参加した永六輔さんが、敗北して帰途に就いた時の心情を書いた歌だそうだ。





政治を変える、平和を維持する、という多くの人々の思い空しく樺美智子さんの死を象徴として挫折していった大衆運動……渦中にいた人にとって、その挫折感と悲しみは計り知れないほど深いものだったに違いない。

だが、打ちひしがれていてはいけない。泣いてはいけない。平和への思いを固く握りしめて生きて行かなくてはいけない……永さんのそんな強い思いが「上を向いて歩こう」には込められているのだと思う。

そういえば、永さんはこんなことも言っていた。

そもそも憲法というものは、夢でいいんです。みんなで夢に近づける、それでいいんです。夢を改正することはありません。

(私は、その「夢」を世界共通の夢にするため、もっと9条を強化すべき!と思っている)


心からの敬意を込めて。合掌 永六輔さん

2016/07/11

参院選が終わって思うこと。



「日本はもっと良くなくなるかもしれない。もし、そん時に、俺みたいなガキんちょが国会前で叫んでいたら、力を貸して欲しい。もし、倒れてて今日寝るとこがなくて、喰うものがなくて困っている友だちがいたら助けてほしい。勇気がなくて、言うこと言えないヤツがいたら、そいつの話を聞いてほしい。
俺たちには差し伸べる手があるし、聞く耳があるし、見る眼がある。それだけを信じましょう」

参院選終盤の78日、三宅洋平の「選挙フェス」(池袋西口)に駆け付けたSEALDs代表・奥田愛基くんは、大勢の聴衆に向かって、こう呼びかけた。(歳のせいだろうか、心優しく真摯な若者の叫びは強く素直に胸に響く)

そんな彼ら(と私)の思い空しく、自民圧勝により《STOP!改憲2/3議席》は果たせなかったが、「地獄に落ちるぞ」と創価学会幹部から恫喝を受けながら、勇気をふりしぼって「選挙フェス」の壇上に立ち「権力を批判しない宗教は、宗教じゃない」と公明党を批判した創価大学の学生をはじめ、「三宅洋平」を通じて、多くの若者たちのシンプルかつ正当な思いとストレートな声に接することができたのは大きな収穫。今も安倍政権の危うさにまったく変わりはないが、次代への確かな希望も感じることができた数週間だった。

で、思うのだが、せいぜい生きて20年……日常的に考えたり、親しい仲間と話し合ったりすることは、頭と体が元気な限り当たり前のように続けるとして、もう、私たちロートルが、重要な政治的局面でいきがって最前列で戦う必要もなければ、それを求められることもない。
何らかのきっかけで行動に駆り立てられたその時は、政治家「三宅洋平」やSEALDsの奥田くんのような若者たちの後ろで応援し、彼らが孤立しないように、できる限りの手助けをすることに専念すればいいのではないだろうか。

もちろん、その掲げる政策や考え方に100YESと言うことはできないが(例えば「脱原発」「反原発」にしても「当たり前」などと言わずに、様々な科学者・技術者の考えや意見を掘り起こしつつ話し合った上で、もっと論理的に組み上げた方がいいと思うし、「アメリカの軍需産業が世界を操り、戦争を起こしている」といった「広瀬隆」の受け売りのような陰謀論的で実証性に欠ける話もどうかと思う)、
今後、「三宅洋平」という、溢れる情熱と言葉の力で大衆の心をつかむことのできる稀有な政治家のもとには様々な知識人(「内田樹」とか?)や優秀なブレーンが集まるだろうし(というか集まってくれないと!)、「心の高度成長期」と彼自身が言っているように、政策も論理も政治家としての資質も急速かつ飛躍的に磨かれていくはず。それを待たずに(待てずに)、私たちが“あら”を穿り出して非難したり、彼の個性的な活動スタイルを揶揄したり、無視したり、その前進の足を引っ張るようなことがあってはいけないと思う。

というわけで、干からびた政治の土壌に、ようやく生まれた新しい芽が、近い将来、花開くことを信じて、今日も覗いた「三宅洋平オフィシャルブログ」……結びの一節には、こう記されていた。

これからも三宅の成長に、みなさまの成長に、思いを馳せて、希望を託して
いつの日かたどり着く平和な世界に向かって、一歩一歩、前に進んでいきましょう。

2016/07/07

再び、三宅洋平。



参院選まであと3日……今日(7日)、一枚の選挙ハガキが家に届いた。

裏面の構成は、赤地に白抜き文字&モノクロ写真。この間、何度もYou Tubeで見ている「三宅洋平」(&推薦人・山本太郎)の顔が目に飛び込んできた。「俺たちをこき使え!」というキャッチコピーも、「選挙フェス」で常に語られるお馴染みのフレーズだ。

ハガキを送ってくれたのは、高校時代からの親友で横浜在住のHIROKO嬢。(昔も今も、実にセンスのいい人だ)

選挙区が違う彼女をも応援に駆り立てる「三宅洋平」のパワーの凄さ、こころざしの高さ、メッセージの強さ……このところたて続けに届く、旧知の女友達からのメールをみても、「三宅洋平」及び「選挙フェス」を支援するムーヴメントは想像以上に広がっているように思える。

私もささやかながら、仕事仲間やバイト仲間に「ねえ、今度の選挙だけどさ、まだ入れる人を決めてないなら、ちょっと、注目してほしいヤツがいるんだけど…」「とにかくYou Tubeで彼の演説を聴いてみてよ。言葉に力があるし、センスもいい。渋谷、新宿、新橋、立川、北千住、秋葉原……今どき、組織に頼らずあれだけ大勢の人を集められる政治家なんていないよ。しかも37歳という若さだから、伸び代も十分」といった感じで、「三宅洋平」への投票を呼び掛けているのだが、何故かそのムーヴメントをどこのメディアも一向に取り上げようとしない。(というか完全に泡沫候補扱い)

これも言論統制・情報統制が敷かれているせいなのか?……と、少し腹立たしく思っていたが、昨日(6日)ようやく《選挙フェスで大動員! ミュージシャン三宅洋平氏がダークホースに浮上?》という見出しで、紹介してくれた新聞がある。
載せたのは朝日でも毎日でも、もちろん読売や産経でもなく、ありえないネタ記事で有名な中高年男性の友「東京スポーツ」。
さすが、大手芸能プロにも屈しない姿勢で的確なスクープを(たまに)飛ばす“我らが東スポ”。
言論統制に服するような弱腰大手メディアとは腹の括り方が違う。

というわけで、以下その全文を紹介。

参院選(10日投開票)の東京選挙区(定数6)では、ミュージシャンで無所属の三宅洋平氏(37)が街頭演説で多くの人だかりを作り、ネットでもSNSで動画やメッセージが拡散されるなど怒とうの追い込みをかけている。

熱気に欠ける参院選で、唯一、気を吐いているのが、三宅氏の街頭演説だ。4日、立川駅前では激しい雷雨に見舞われる中、聴衆は濡れながら演説会のスタートを待ち続けた。「選挙フェス」と題した音楽と演説会をコラボした選挙戦で、渋谷や新宿駅前での開催では立すいの余地もないほどの熱狂に包まれている。

三宅氏が出馬するのは3年前の参院選に続き、2度目。前回は緑の党から比例代表で出馬し、党最多の約17万票を集めたが、党への議席ゼロで涙をのんだ。今回は前回もコラボした「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎共同代表(41)が個人で全面支援している。

“爆弾男”の山本氏が熱を上げるだけに、三宅氏もロンゲにヒゲの風貌にたがわぬ個性派だ。山本氏が経団連批判を展開すれば、三宅氏も原発即時停止や富裕税導入など政権側には耳が痛い主張を繰り返している。なかなか大手メディアに取り扱われないことに、三宅氏は「マスコミにネグレクト(虐待)されている」ともはや怒りを通り越し、ネタに変えている。

山本氏は「マスコミは情勢調査で“三宅の支持は広がらず”と書いているが、恣意的。ボクも同じような扱いで(中間の)情勢調査で8位だったが、最後は4位まで上がった。ボクの時よりもボランティアの集まりや聴衆の盛り上がりも上をいっている最後の1週間で浸透させる。ぜひボクの仲間を増やしてもらいたい」と無党派層への支持拡大で逆転可能とみている。

三宅氏は無所属ながらも山本氏の熱意にほだされて、生活の小沢一郎共同代表(74)も4日、選挙フェスに初参加。「場違いですが」と笑わせながらも「(三宅氏は)私より立派な話をしていて、理路整然で分かりやすい。これこそ政治家にとって必要な最大の素質」と猛プッシュ。与党側には厄介極まりない“第2の山本太郎”が生まれるかどうか。

記事に書かれているように、この凄い熱気は、私の経験上では「新宿西口地下広場のフォーク集会(1969年)」に匹敵するもの。(もちろん、連続性・継続性はそれ以上)
710日も、この真摯で心地よい熱気の持続を願いつつ、「政治家として成長していく姿を見ていたい」と初めて思えた人間「三宅洋平」に、迷うことなく一票を投じたい。

(政治の裏も表も知っているプロ「小沢一郎」、裏も表もないストレートさが魅力の「三宅洋平」、そして独特の切り口とパフォーマンスで権力に挑む「山本太郎」。きっと、この3人の化学反応は日本の政治を面白くしてくれるはず)

2016/07/01

一票は、三宅洋平に!


「ファシズムは必ずデモクラシーから生まれる」という言葉を残したのは哲学者・鶴見俊輔。

その至言を受けつつ、昭和史研究の第一人者であるノンフィクション作家の保阪正康氏は自らの著書の中で「歪んだ民主主義体制のあとにファシズムがくることのおそれ、日本が戦間期の思想をもつのではとの不安が、国内外に生まれていることを知るべきである」「私たちは思考の幅を広げなければ、安倍内閣の手によって、昭和から平成への教訓や伝承が、いとも簡単に解体されてしまうに違いない」と日本の現状を危惧し、私たち国民に強く警戒を呼び掛けている。
(また、氏によると「安倍首相の議会答弁やその体質は、東条(英機)とよく似ている」らしく、東条もよく使った言葉「私が最高責任者ですから」は、「俺に逆らうな」という恫喝に等しいとのこと。加えて、安倍の国会答弁には「形容句の多用」「立論不足」「耳学問」の三つの特徴があり、これも戦前の軍人が国会で答弁している姿によく似ているそうだ。)

さて先週、この本『田中角栄と安倍晋三 昭和史でわかる「劣化ニッポン」の正体』(朝日新聞出版)と、ビートルズマニアとして英国で少女時代を過ごした強面エコノミスト・浜矩子氏の『アホノミクス完全崩壊に備えよ』(角川書店)を同時並行で読みつつ、英国のEU離脱や大統領就任の可能性が現実味を帯びてきた米国・共和党のトランプ氏、そして間近に迫った参院選の事などを考えていたところ、タイミング良く(少し気も重くなっていた)、友人のUEちゃんからメールあり。

ネットで話題になってる三宅洋平の演説見た??すげ〜〜〜パッション!

という彼女のただならぬ興奮具合につられて即、添付されていた動画のアドレスをクリック。途端に目は釘づけ、慌ててスピーカーのボリュームを上げ48分間、聴き入ってしまった。
その魂の底から絞り出すような情熱あふれる演説は凄い・上手い!というレベルを超えて、感動的ですらある(年甲斐もなく、ちょっと胸が熱くなってしまった)。そして何より素晴らしいのは、民主主義の根幹である多様な意見を尊重しようという姿勢が強く感じられること。(ミュージシャンで政治家、37歳という若さも魅力的!)










「改憲の分岐点」になるかもしれない今回の参院選、「誰に入れようか?」と思案していたが、ようやく「こういう人間に、国会で闘ってほしい!」と心から思える“自分たちの政治家”が出てきた感じ。「参院選東京選挙区」は何の迷いもなく選挙権を行使できそうだ。(比例は思案中)

で、三宅洋平の演説をネットで見た翌日(28日)、奇遇にも三重の山村で暮らす友人ITSUKOさんから「突然ですが、今日インターネットで遊んでいたら参院選候補の三宅洋平の街頭演説を見つけて久しぶりに熱くなっちゃった」「拡散してね」……というメールが携帯に届いた。(我が友人たち、特に女性陣の情熱もかなりのもの)

1日の平均アクセス数が20前後のちゃちなブログに、「拡散」する力などあるはずもないが、とりあえず、心熱き友人のご希望に応えて呼びかけたい。

何かの縁で当ブログに立ち寄られた都民の方へ。

何はともあれ、まず彼の演説を聴いてください。そして、その一票を、ぜひ、三宅洋平に!