2015/10/20

災い転じて……



先日のバイクトラブルを契機に、バイト先である駐輪場の仕事が見直され、雇用先の担当者から「不正駐車であっても、バイクを動かしてチェーンロックをかける必要はありません。同様に、自転車の場合も無理にラックに入れる必要なし。(特にバイクには極力手を触れぬこと)」という内容の職場通達が出て、我々整理員の精神的負担が大きく減ることになった。
それで、事の抜本的な解決になるわけではないが、おざなりな態度でトラブルへの関与を避ける無責任な管理会社と、ルールを守らない身勝手な利用者の間で対応に困っていた私たちにとっては、要望通りの業務改善。まあ、実質“抗議の手抜き”と言った感じだが、今できる唯一の自衛手段として素直に評価し、歓迎したい。

(やはり、バイトとはいえ、自分が働く場所は、自分たちの声と手で変えていかなきゃ!……職場の仲間も一様にスッキリした感じ)

ということで、明日も駐輪場。(本業の方は、先週末に印刷入稿して一段落)

明後日からはバイト4連休になるので、久しぶりに新宿で映画を観るつもり……武蔵野館で『ボーダレス ぼくの船の国境線』(製作/イラン)を観るか、K’s cinemaで『名もなき塀の中の王』(製作/イギリス)を観るか、只今思案中。

2015/10/16

浮かない休日…猫と戯れ、本を読む。



予期せぬバイト上のトラブルもあり、ここ4、5日、気分がパッとしない。

(どんなトラブルかというと……仕事中、チェーンロックをかけずに止まっていたバイクを動かそうと持ち上げた瞬間、つかんだ場所が悪く座席の後ろにあるバックライトカバー?を壊してしまった。
不正駐車とはいえ、バイクの扱いに不慣れな自分に非があるのは明白。すぐに“激おこ”の所有者に謝罪し「弁償(修理費)」を約束して会社に連絡。所有者には修理の見積りを会社宛に送ってもらうことで了承してもらい、後は、トラブル時の状況説明と写真を家のパソコンから会社に送り、所有者の女性との交渉を会社と保険会社に委ねた次第。
つい先日も、同僚のNさんが新品の高級自転車を傷付けてトラブルになったばかりで、いずれも不正駐輪・駐車に対応している中でのアクシデント……もちろん、ルールを守らない利用者が一番の問題だが、トラブル処理も含めてすべて下請け会社の整理員任せでルールの徹底を図らない大手管理会社にも問題あり。目立つ場所に“チェーンロック厳守”の警告看板を立てるなど、何らかの対策を講じてほしいものだ)

お陰で、映画を観に出かけるどころか、近くのTUTAYAにさえ行く気にならない。

無類の映画好きが映画を観る気も起きないのだから、コレは軽いウツなのか?とも思ったが、パンフレットの校正&印刷手配など本業の仕切りは抜かりなく、食欲も酒欲も健在……やはり、いつも通り季節の変わり目に引きやすい「心の風邪」なのだろう。

そんな主の「軽い風邪」を知ってか知らずか、わが家に来て丁度3年目になる愛猫ジャックがちょくちょく部屋に顔を出し、「かまってくれよ~」的に、足の当たりをスリスリしてくる。

大した用事もないし、気も紛れるので、束の間、ヤツと戯れる……

まっすぐ私を見上げる時のジャックは、つぶらな瞳のイケメンなのだが、気持ちよさそうに目をつむると、重盛の人形焼みたいな顔になる。それが可笑しくて、「ホント面白いヤツだよなあ、お前は」と頭を撫でてつぶやくと、また薄目を開けて「ニャ~」……

そうこうしているうちに、少し気分も回復(猫はソファで丸くなり)、先日ueちゃんが送ってくれた坂口恭平の日記本『幸福な絶望』をパラパラとめくって読んだ。

躁鬱を繰り返す彼のウツは、すぐ直るようなヤワな「風邪」ではなく、創作活動の源で生じる「自然現象」のようなものと認識しているらしい。

《止まることも仕事なのかもしれない。とてもきついけど。少しだけ言葉が出てきているが、同時に、言葉なんか出てこなくてもいいのかもしれないとすら思った。それよりも、記憶そのものをどうにか蓄積していけばいいのだ。そのときにしか考えられないものを、そのときに感じた全てのことを、そのときにできることで、自分にできることで、奇をてらわずに、ただひたすらに残していけばいいのだ》

《忘れるから、書くのである。忘れたくないから書くのである。心地よい瞬間があったことを、忘れないために書くのである。なぜなら、僕は体で記憶することができないからだ。日々、自動的に刷新され、全く別人になってしまう。それでも僕という体は今も続いている。それを時々、思い出せるように。だから書いていこう。名作を作り上げるために書くのではないのだ。現実からみれば連続しているように見えない、僕の、僕にとっての、独自の連続体を、見つけるために書くのだ。僕は、その分裂の中の連続を、冒険しているのだろう》

その葛藤から生まれる素直な言葉が、ヤワな私の胸に沁みた。

2015/10/08

本田が雄弁にキレた…(&ザッケローニの助言)



104日、ACミランがホームでナポリに惨敗した(04)。

2試合連続でベンチのまま出番のなかった日本代表FW本田圭佑は、試合後、日本の報道陣にチームの惨状についてコメント……その内容が、各国の言葉に訳され世界中を駆け巡り、あちこちのACミランファン及びサッカーファンの注目を集め、イタリアメディアも大きく取り上げる事態になっている。

本田と報道陣とのやりとりは以下の通り。(Soccer Magazine ZONE webより)

― (ベンチからナポリ戦を観た感想は)

「そうですね。前半は結構いい勝負していて。失点シーンは自分たちのミスから生まれたものだった。その後、どちらかというとナポリの方に勢いがなくなり始めて、同点になるチャンスも何本かあった。そこを決めきれなくて。後半はまったく違った試合になってしまった。個人的にはあんまりというか、問題点が分かりやすくなった。問題点が変わったわけでもないし、問題点が大きくなったというのもないですし。今日の試合でファンや経営陣、選手たちは大きく傷ついて、こういうところで気づく。今日の敗戦、大敗をしっかりと(受け止める)。この敗戦から何かを学ばないと。いつまでたっても再建はほど遠い」

― 次に出られるチャンスは巡ってくると思うか

「というか、なんで出れなくなったか分からない。こういう試合をやっていて出れるチャンスがないのがおかしい。イタリアのメディアの大問題だと思うんですけれど、誰がいい、誰が悪いというのをこういう試合で話すのがナンセンスですよね。ある程度、誰がやってもダメというのは、この3年ぐらいで分かったと思う。そこを今日しっかり学ばないと。(マンチェスター・)シティやパリ・サンジェルマンぐらいお金を使うか、もう少しストラクチャー(構造)の部分で見直していかないといけない。でも、選手が気づいていてもこのチームは変わらない。トップの人間が気づく、経営陣が気づく、監督が気づく。そして、選手たちが気づく。同時にファンたちも気づいていかないと。僕はファンの拍手のタイミングを見ていても、勝つことだけに左右されているファンだなと気づく。内容など見ない。勝てば拍手する」

― 監督は、精神的なものがチームの問題なのではないかと言っている

「それはどういうことなのかな。選手の責任であるという話をしている時点で、ナンセンスだと思う。3年間いろいろな選手を試してきた。その間に(強化に)100億くらい使って、選手たちを今試しているわけでしょ。(世界)トップのプレーヤーではないにしても、少なくとも代表選手が集まっている集団。それでなぜ出ている選手が与えられたポジションで生き生きとプレーできないのか。もう少し構造的なもの、評価基準が重要。評価基準をメディアからファンから監督から経営陣から、全員がもし変えることができれば、大きく再建につながるんじゃないかなと思う」

― 本田選手については、もう少し攻撃的にという声も聞こえるが

「専門的な話になるんで、あれなんですけど、シンプルに言えばヒントは今日のナポリにあると思います。それが分からないようであれば、再建はあと5 10年かかる。ナポリはサポートが速い? 2年間思っている話。逆にイタリア人に聞きたい。ユーベも危ないでしょ。これでユーベが弱くなったらイタリア危ないですよ。だから、イタリアのメディアにこれを伝えておいて下さい。また散々ぱら僕をたたくでしょうから」

という内容……

低迷するミランの10番として、メディアとファンの批判を一身に浴び、スケープゴートにされて叩かれてきた本田が、「勝利至上主義」のセリエAのサポーターと、攻撃面での黒子役、守備面での汚れ役を評価しないメディア、クラブに対して放った痛烈な一撃、といったところだろうか。
(ミラン及びセリエAの華やかな歴史、その栄光にとらわれているサポーターとメディアが今も「ミランの10番」に抱くイメージは、メッシやロナウドに近い存在。そんな意識下、一人でゲームを決めてしまえるような“真のワールドクラス”ではない「10番」が非難の的になるのは致し方ないことかもしれない。だが、現実を直視し、チームへの献身を忘れることなく、汚れ仕事も厭わず、ひたすら再建の足掛かりを築く「10番」こそ、いまのミランには必要ではないのか?それに自分は値しているはず……と、本田は言いたいのだろう)

本田自身「下手なりにも本気でトップを目指している人間として、行動を起こす時には、ただ行動を起こすことはないですから。というのは、目指すところの逆算で行動をとってきているわけですから、それに相応しくない行動は取りたくないというのが自分のフィロソフィーですから。自分の正義をつらぬくことが今後の自分にとっても、自分自身であり続けるためにも必要なことだと思います」と語っているように、相当な覚悟と自負を込めて行った発言だと思う。

熱烈な本田ファンの一人としては、「らしいなあ」と、その発言を支持し、事の推移を見守るのみ。

海外のACミランファンの反応も「よく言ったよ、悲しいが事実だ」「これは本当だ……本田はとても勇敢だ。それ以外の何ものでもない」など概ね好意的。また、ある意味、本田の攻撃を受けたイタリアメディアも、その琴線に触れたようで「普段冷静で思慮深い人物の口からこれらのことを聞くのはインパクトがある」、「この言葉はあまりにも核心を突いている。ミランはこれをどう受け取るだろう?」(ガゼッタ・デロ・スポルト)と、冷静に報じている。

とはいえ、所属選手がメディアにチーム批判をぶちまけるのは、どこの国でもチームでもご法度。クラブの副社長兼CEOのガッリアーニも「最悪」と憤っているようだし、本田にも厳しい処分(多額の罰金?)が科せられるのは必至。加えて早くも、本田の発言を「1月のマーケットでの移籍希望のサイン」と見なし、獲得に動き出すクラブもあるらしく、ミランからプレミアリーグへの移籍話も報じられている。

そんな矢先、7日のクラブ公式番組「ミランチャンネル」内で、ミラン監督を務めた経験もある元日本代表監督、アルベルト・ザッケローニ氏が電話インタビューに応え、外部でクラブ批判を行ったことを諌めつつ、「積極的にクラブを助けようとしたんだ」と本田を擁護した(してくれた!)。

「ケイスケは軽率なことを言う人間ではない。偉大なプロ精神を持っているし、常に自分のことよりチームにとってどうかを考える。ああ言ったということは、きっと誰かに何かをさせたくて、刺激すべきだと考えたのだろう。
しかし、話す場所は考えるべきだというのも事実だ。私は常にこういったことは外部で話すべきでなく、内部で話すべきだと考えている。私もミランにいた3年の間に問題があるときは、常に内部で話し合うようにしていた。
例えばパオロ・マルディーニはキャプテンとして人間的に非常に優れた選手だったが、口を開くときには常に建設的なことだけだった。
選手は外部で批判してはいけない。自分のプレーについてテレビや新聞で自己批判するのはいいが、他人を批判してはならない。内部で話し合ってもいいが、それを外部で批判してはならない。だから彼には賛成できない。
ただ私は彼のことをよく知っている。慣習や文化も異なった国からきた選手だから、我々とは異なったやり方をしたのだと思う。彼は建設的な意味でやったのだろう」

ただの本田ファンである私も、その変わらぬ信頼と正しい助言に「ありがとう。ザック!」と感謝しているくらいだから、本田自身もきっと恩師の言葉を有難く、力強く思っているに違いない。

さて、今夜は、日本代表にとってW杯アジア2次予選1位通過のカギを握る重要なシリア戦。日本の勝利を祈りつつ、いつも以上に、本田のプレーに注目しよう!

 


 

2015/10/07

町でデモ隊にあった。(&吉本さん再読)



先週の日曜(4日)、地元の町でデモ隊に遭遇した。

30人ぐらいだろうか、ほとんどが地域の中高年の人たちだと思う。

「原発反対」「子どもを守れ」「原発反対」「空を守れ」……

あまり意味があるとも、切実とも思えない単調な叫び声が、秋の空にこだましていた。

どういう思いなのだろうか……

(正直、私も福島第一以降“原発は怖いもの”だと再認識しているが、論理じゃなく「恐怖」で「原発問題」を捉えることはできないと思うし、大勢の人といっしょに「原発反対!」と声を上げて叫ぶほどの切実な思いも根拠もない。また、反原発デモでも、なんでも、「恐怖心」を煽り、それをベースに組織化を図るような運動・活動は「保守・リベラル」に関わらず端からダメだと思っているので、当分「原発」を巡って体も心も動くことはない。だから、「安保法制反対」と「原発反対」がセットになっているデモなどを見ると、SEALDsの人たちなどは「リベラル」ということで一括りにしているようだが、「それは、別の問題じゃないの!?」と、首を傾げたくなる……安易な同調も排除も、彼らが主張する「民主主義」の薄っぺらさを示すことにならないか?と)

……隊列から少し離れて歩道を歩いていた女性が、「読んでみてください」と、私にビラを手渡そうとしてきたが、読まずとも中身は知れたもの。ぼんやり空を見ていたせいもあるが、デモにシンパシーを示すつもりもないので、受け取ることなく、黙ってその場を通り過ぎた。

その夜、本棚から吉本(隆明)さんの『反原発異論』を取り出して再読。

「これから人類は危ない橋をとぼとぼ渡っていくことになる」(『思想としての3.1120116月刊所収)と記された一節の中にこんな言葉があった。

《原子力はそれを最終的には戦争に使うために貯蔵することも、また多面的な利用もできるし経済的な利を得るために開発することも、見方を変えればいくつもの目的があるわけですが、もっとも根本的には、人間はとうとう自分の皮膚を通過するものを使うようになったということですね。人間ばかりでなく生物の皮膚や骨を構成する組織を簡単に透過する素粒子や放射線を見出して、物質を細かく解体するまで文明や科学が進んで、そういうものを使わざるを得ないところまできてしまったことが根本の問題だと思います。それが最初でかつ最後の問題であることを自覚し、確認する必要があると思います。武器に使うにしても、発電や病気の発見や治療に使うにしても、生き物の組織を平然と通り過ぎる素粒子を使うところまで来たことをよくよく知った方がいい。そのことを覚悟して、それを利用する方法、その危険を防ぎ禁止する方法をとことんまで考えることを人間に要求するように文明そのものがなってしまった。素粒子を見つけ出して使い始めた限り、人間はあらゆる知恵を駆使して徹底的に解明してゆかないと大変な事態を招く時代になってしまった。原子力は危険を伴いますが、その危険をできる限り防ぐ方法を考え進めないと、人間や人類は本当にアウトですね。俺をどうしてくれるんだと素粒子側から反問されて答えられなければ困るわけで、何とかして答えるようにしなければならない。心細く言えば、人間は終わりが近づいているくらい悲観的なものですが、でもここまで来たら悲観しても収まりがつくものではないわけで、この道を行くしかないのですね。》

いま読んでも、とても「原理的」で、慎重かつ丁寧に原子力を見ているように感じられるが、「反原発」を叫ぶ「リベラル」な人たちからは今も「原発推進派」として吉本さんの一連の発言は毛嫌い(無視or憎悪の的?)されているようだ。

そこがよく分からない……

吉本さんは、「恐怖感」や「経済的な利益」で原発を議論するのではなく、あくまで「文明論・技術論」をもとに議論を尽くすべき。と主張し、「人類が辿ってきた道を、後戻りはできない」という文脈で「反原発」を批判したわけで、「原発を積極的に推進すべし」などと語ったことはないはず。

福島第一の事故以降、急速に高まった「反原発」の声を恐れて、多くの科学者と技術者が口をつぐんでしまい、未だに自由に発言・発信しえないこの日本の現状こそ、吉本さんは最も危惧していたのではないだろうか。
(先日、辺見庸さんのブログを、友人に紹介されて読んだが、辺見さんも今の日本の「リベラル派」や「民主主義」の状況を、吉本さん同様のスタンスで危惧しているように思う……辺見さんの言葉はかなり乱暴だが)

私も吉本さんが残した言葉を手掛かりに、「元個人(げんこじん)」として、敬愛する仲間たちと語り合いながら、「原発」を含め様々な問題を考えていきたいと思う。


2015/10/06

バイト、最悪の一日…(職業蔑視も感じつつ)



昨日は五・十日(ごとうび)で、駐輪場は大混雑。(西友のカード割引率が通常の3%から5%になるらしく、朝から買物客が殺到……「得した気分で、大して必要のないモノも買っちゃうのよ」と言う人もいるけど)

店内から持ち出したショッピングカートを駐輪スペースに置きっぱなしで帰ってしまったり、確信犯的にラック外の狭い場所に自転車を突っ込んだまま、買い物や近くのパチンコ屋に行ったりする利用者が後を絶たない。

ほとんどが中高年女性だが、図々しいというか「お父さん、これ、片づけといて」と当然のようにカートを押しつけてくる人もいる。「アンタのようなババアに、お父さん呼ばわりされたくないよ!」という言葉はグッと飲みこんで「次からは、ご自分でお願いします」とヤンワリ返すが、「あら、そうなの」という感じで意に介さない。
このように、駐輪場の整理員を普通に見下しているというか、「自分は客だ」的に買い物サービス係か何かと勘違いしているような人が、最近、多い気がしてイヤになる。(別に商業施設と雇用関係を結んでいるわけでもないのに……仕事仲間の中には、シルバー人材センターの派遣者だと思われて「市から金を貰っているくせに、偉そうに注意するな」と言われた人もいる。人材センターを通して働く人たちにも失礼な話だ)

と、若干労働意欲がダウンしていると、そんな気分に追い打ちをかけるようにサラリーマン風の若い男が「あそこで、おばあちゃんが入れる場所探してるよ。どっかないの?探してあげなよ」と、高飛車な態度で忠告?してくる……(高齢者を気遣う割には、言葉遣いを知らないヤツだと腹が立ったが、忠告自体は正しいことなので黙って従った)

挙句は、自分で勝手に出しにくい場所に自転車を留めておきながら(もちろん、不正駐輪)「ちょっと、出すの伝ってくれない」と、臆面もなく平気な顔で頼んでくるオバサン!……「こういう所に入れておいて、手伝ってくれと言われても困るんですけど」と言葉を返しながら自転車を引き出したが、逆に「ココ(駐輪場)が狭いからダメなのよ!もっと大きくしてよ」と食って掛かられ(まるでヤクザの言いがかり)、近くに居合わせた人にまで「ねえ~」と同調を求める始末。

ったくどういう神経しているんだろうコイツらは……と思うが、経済・経済・経済の世の中はこんなもの。年齢・性別に関わらずイイ人もいれば、イヤな人もいる(ただ、ココに限っていえば、丁寧に注意しても素直に非を認めず、逆ギレするのは中高年女性だけ)。
折角、胸にネームプレートを下げているのに、明らかに自分より年上、もしくは近い年齢の女性たちに「お父さん」「おじさん」と呼ばれる日常的な軽い屈辱感も含め(イチイチ面倒だが「これからは、名前で呼んでくださいね」と言うようにしている)、そうそう毎日、気持ちよく働かせてもらえる職場はないということ。

「お互い、ストレス、溜めないようにしようね」と、遅番のOさんと慰めあって心を鎮め、午後4時、バイトを始めて4ヶ月目にして最悪の一日を終えた。(でも、帰り際に「〇〇さんと一緒の日は仕事が楽しい」と言ってくれたOさんの言葉で、帳消しになった感じ)