2014/11/30

2年ぶりの「陽水」



木曜(27日)は、井上陽水のコンサートライヴ「氷の世界ツアー2014」を観に、有楽町の「東京国際フォーラム」へ。

開演は午後7時。少し早目に家を出て、新橋辺りでライヴ前の腹ごしらえ……と、3時頃に家を出た。新橋に着いたのは4時過ぎ、昔懐かしい烏森口周辺をそぞろ歩きつつ店を物色したが決まらず、結局、ツレがスマホで探した評判の立ち飲み料理屋に入り(駅から5、6分)、1時間余り呑みながら軽めの夕食をとった。(酒は中生→ハイボール→山田錦の冷や各1杯。肴は、出し巻き、大根・椎茸煮、カニクリームコロッケなど。酒も料理も美味かったが、値段は高めで量は少なめ……コスパの悪い店だった)

さて、25か月ぶりの陽水……前回、高音域がキツそうで、「さすがにもう年かもなあ」と余計な心配をして、あまりノレない夜になったこともあり、今回は大丈夫だろうか?と、若干の不安を抱えつつオープニングを迎えた。が、独特の甘く張りのある声で「ジェラシー」が流れた瞬間、すぐに不安は消えた。(開演は、予定時間を15分ほど過ぎた頃)

それから休憩もとらずに2時間以上(ポールやミックのように水も飲まずに……とはいかなかったが)、名盤「氷の世界」の全13曲をメインに、21曲を歌いきった。(アンコールは、サービス精神溢れる懐かしの4曲)

で、一番頭に残った曲は、ここ2、3日、何故か不意に“♪小春おばさん~ 逢いに行くよ~”と、口ずさんでしまう「小春おばさん」……

♪風は北風、冬風
 誰を誘いに来たのか 子供は風車、まわしまわされ、遠くの空へ消えてゆく 
 小春おばさんの家は 
 北風が通りすぎた小さな田舎町、
 僕の大好きな貸本屋のある田舎町 
 小春おばさん、逢いに行くよ 
 明日、必ず逢いに行くよ

別にどうということのない詞と曲なのに、陽水の声で歌われると大の字がつく名曲になってしまうという摩訶不思議。

そして、タイトル曲「氷の世界」や「愛されてばかりいると」、「とまどうペリカン」など……改めて、その魅力的な声とシュールな詞のセンスに、酔いしれた夜でした。

 ♪窓の外ではリンゴ売り 声をからしてリンゴ売り
 きっと誰かがふざけて リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう 
 僕のTVは寒さで 画期的な色になり 
 とても醜いあの娘を グッと魅力的な娘にして すぐ消えた 
 今年の寒さは 記録的なもの こごえてしまうよ 
 毎日、吹雪、吹雪、氷の世界

 

以下、1127日(木)のセットリスト

01 ジェラシー/02 感謝知らずの女/03 Make-up Shadow04 あかずの踏切り/05 はじまり/06 帰れない二人/07 チエちゃん/08 氷の世界/09 白い一日/10 自己嫌悪/11 心もよう/12 待ちぼうけ/13 桜三月散歩道/14 Fun15 小春おばさん/16 おやすみ/17 リバーサイドホテル/18 ジェニーMy love19 愛されてばかりいると/20 とまどうペリカン/21 鍵の数●アンコール

22 アジアの純真/23 夢の中へ/24 少年時代/25 いっそ セレナーデ

2014/11/26

『TATSUMI』&『劇画漂流』



先週の火曜(18日)、ラジオCMの収録が早目に終わったので(昼メシを含め13時前に終了)、当然の寄り道を決め込み、その足で見附から新宿へ。明治通り沿いにある「角川シネマ新宿」で『TATSUMI マンガに革命を起こした男』を観てきた。(上映開始1440分。映画の前に、伊勢丹会館内の「珈琲舎バン」で、『永続敗戦論』を読みながら1時間ほど時間潰し……目からウロコの優れ本)

映画『TSUMI…』は、高度経済成長期の“光と影”を描き続けた辰巳ヨシヒロの自伝的漫画『劇画漂流』を基に、彼の代表的な5つの短編作品(「地獄/HELL」、「いとしのモンキー/BELOVED MONKEY」、「男一発/JUST A MAN」、「はいってます/OCCUPIED」、「グッドバイ/GOOD-BYE」)を挿入しつつ、“劇画の父”と呼ばれた彼の半生を描き出すアニメーション作品。シンガポール映画界の旗手エリック・クーが監督を務め、別所哲也が一人六役の声、辰巳ヨシヒロ本人がナレーションを務める。(別所哲也。暫くテレビで顏を見ないが、こんな所でイイ仕事をしていた!)

で、感想だが……70年代に月間漫画雑誌『ガロ』を愛読していた私のような人間にとっては、何とも言えない懐かしさと哀しさと荒々しさが入り混じったような、不思議な感情に襲われる、堪らなく魅力的な作品だ。
朴訥とした語りに誘われ、その原画の中から抜け出てきたような登場人物たちが、スクリーン一杯に〈動き・這いずり・もがく〉光景は、まさに辰巳ワールド。時代に取り残されていく平凡な人々を描きつつ、時代に反旗を翻し、劇画ブームを起こした男の魂の躍動をまざまざと見るようだ。きっと、人間の欲望と哀しみが生々しく交錯するこの“動く劇画世界”に、世代を超えて多くの人が強烈なインパクトを受けるに違いない。(その生々しさ故、短編の一つ「グッドバイ/GOOD-BYE」が映倫の審査に抵触し、R18+指定の判断を下されるところだったらしい)

事実、パンフレットには、こんな若い世代の声が載っていた。
「なんだろう、この迫り来る哀しさと可笑しさ。圧倒的な力を持った辰巳先生の作品に今出会えて、私は幸せです!」(女優・南沢奈央24歳)
「あっという間に呑み込まれた、辰巳ヨシヒロを知らなかった事を私は恥とは思わない。今こそ我々が知るべきタイミングなんだと思う、スクリーン体験しなくては勿体無い」(俳優・斎藤工33歳)

映画を観てから6日後の24日、西武リブロで『TATSUMI』の基となった辰巳ヨシヒロの『劇画漂流(上・下)』(講談社漫画文庫)を購入。昨日は、日がな一日それを読んで、戦後日本のカルチャー&サブカルチャーを時系列で追いかけながら、マンガで映画『TATSUMI』を追体験するという珍しくも楽しい時を過ごした。(久しぶりの一気読み)

私の生まれた年……漫画雑誌『少年』に「鉄腕アトム」が登場。映画館では「第三の男」が上映され、ラジオからは江利チエミの「テネシーワルツ」が流れていた。




2014/11/22

健さん、映画の思い出



健さんの訃報を聞いたのは、18日(火)正午過ぎ。デザイナーのH君からの電話だった。丁度、ラジオCMの収録が終わり、「メシでも食べましょう」とスタッフに誘われ、赤坂見附のスタジオを出て路上を歩いている時のこと。

仕事がらみの電話の途中で「健さん、死にましたね」と唐突に告げられ「えっ!?」と驚いたが、高齢ということもあり、特別のショックはなかった。道すがら「これで、戦後のスターがほとんどいなくなったね~。残るは、長嶋茂雄……だけか~」と、誰に話すでもなく呟いただけ。

翌朝、新聞の追悼記事の最後に、隣駅にある「Tジョイ大泉」に献花台が設けられているとの記載あり。「近くだし、花を手向けに行こうか…」と少し心が動いたが、人間・高倉健は慕っているものの、20年以上も健さんの映画から離れている自分に俳優・高倉健のファンたる資格はなし。「Tジョイ大泉」で観たい映画もなかったので、献花に行くのは取り止め。今まで観た健さんの映画を改めて思い起こすことで、哀悼の意にかえることにした。

というわけで、私が過去に観た「高倉健」主演の映画は、以下の通り。(ウィキペディアの助けを借りて記憶を辿った)

網走番外地シリーズ/昭和残侠伝シリーズ/山口組三代目(1973年)/三代目襲名(1974年)/新幹線大爆破(1975年)/八甲田山(1977年)/幸福の黄色いハンカチ(1977年)/冬の華(1978年)/遥かなる山の呼び声(1980年)/駅STATION1981年)/南極物語(1983年)/居酒屋兆治(1983年)/あ・うん(1989年)

その中で、最も忘れがたい映画と言えば、1970年代半ばに任侠映画専門の名画座「新宿昭和館」で観た『昭和残侠伝 死んで貰います』(監督マキノ雅弘/東映・1970年)……ラスト、健さんの「ご一緒ねがいます」という声が張り詰めた館内に響いた、風間重吉(池部良)と花田秀次郎(健さん)の道行シーン。雪の降る野道を番傘をさして歩く二人の姿のカッコ良さ。バックに流れる「唐獅子牡丹」が胸に沁みた。
親に貰った大事な肌を 墨で汚して白刃の下で 積もり重ねた不幸のかずを 何と詫びようかお袋に 背中で泣いてる唐獅子牡丹~

『幸福の黄色いハンカチ』(監督・山田洋次)で印象に残っているのは、勇作(健さん)が欽也(武田鉄也)に親父ギャグ的説教をするシーン。「今日のお前の行動は、おれの所では“草野球のキャッチャー”と言うんじゃ。わかるか!! 」「えっ?」と訝る欽也(鉄也)に少しはにかみながら一言。「“みっともない(ミットも無い)”と言う意味だ」……(もちろん、映画としても今さら言うまでもない名作。健さんと倍賞千恵子の共演も新鮮だった)

『冬の華』(監督・降旗康男/脚本・倉本聡)は、残侠伝の名コンビ「花田秀次郎」と「風間重吉」の久しぶりの共演が嬉しかった。映画の冒頭、健さんと池部良の二人が並ぶ海辺のシーン、そのやりとりは「昭和残侠伝」シリーズが蘇ったかのよう。健さんの役名も「秀さん(加納秀治)」だった。
作品全体に漂う哀愁、ムショ帰りの主人公に不似合いな(?)シャガールの絵とチャイコフスキーのピアノコンチェルトが妙に効いていて、降旗監督作品としては最も好きな作品。でも、マキノ雅弘のように美意識の高い監督が撮れば、もっと素晴らしい作品になったのでは?と今でも少し残念に思う。

『駅STATION』(監督・降旗康男/脚本・倉本聡)は、「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました」で始まる元オリンピック代表のマラソン選手・円谷幸吉氏の遺書が流れる場面が、健さんの厳しい顔のアップも含めて最も印象的。「のっけから、こんなに切なく美しい文を読み聞かせるなんて、ちょっと反則でしょ!」と、胸の中に文句を溜めながら、自然に涙腺が緩んでいた覚えがある。また、客のいない居酒屋にふと立ち寄った健さんが、桐子(倍賞千恵子)と出会う所も忘れられない名シーン。テレビには紅白歌合戦で歌う八代亜紀の姿……名曲「舟唄」が流れる中、カウンターの三上(健さん)に肩を寄せる桐子。その二人の姿が温かく、羨ましかった。

そして、隠れた?名作『遥かなる山の呼び声』(監督・山田洋次)……主人公・田島(健さん)に判決(傷害致死で懲役2年以上4年以下)が下され、護送の刑事と共に網走に向かう汽車の中。その汽車に民子(倍賞千恵子)と虻田(ハナ肇)が乗って来る。虻田の“ハナさんらしい一人芝居”の橋渡しによって健さんの席の隣に座った民子は、万感の思いで健さんを見つめる。健さんの目にも涙が……「ハンカチ渡していいですか?」と刑事に許可をとった民子が、「はい」と健さんにハンカチを差し出す。それをくしゃくしゃになるまで握り締め、眼をふき、鼻を拭い、それでも溢れる涙を見せまいと、車窓からじっと外を見つめる健さん。その切なく熱い胸の鼓動に合わせるように、北の大地をひた走る汽車。その空撮シーンで、映画は終わった。この映画を観た後、「だって健さんが鼻水流して泣くんだぜ。もう黙って泣くしかないだろ!」と友人たちに話し、「お前も泣くぞ、観てみろよ」と仕切りに勧めていた気がする。
それにしても山田洋次は巧すぎてズルい。「この程度の話で、泣くわけにはいかない」と思いつつ、結局、最後に泣かされてしまう。(でも、この映画だけは、山田監督ではなく、健さんに泣かされた!と思っている)

その他、『八甲田山』及び『南極物語』以降の作品に関する感想は特になし。(原作の印象につられて観にいった『居酒屋兆治』と『あ・うん』には、落胆の記憶しかない)

と書いているうちに、それぞれの作品との出会い、それを観た時の自分の状況が思い出され、妙な気分になってしまった今日。買い物ついでに地元のTSUTAYAを覗いてみたら、案の定「高倉健コーナー」は、貸出中の作品ばかり。私も年が明けたら、『昭和残侠伝』シリーズをもう一度観なおしてみようと思う。

健さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。どうぞ、安らかに。

2014/11/12

先週の話②(羽生クンの件)



週明け、8日のフィギュアスケートGPシリーズ第3戦・中国杯での羽生結弦選手の件が、新聞・テレビを賑わせていた。

競技終了後、ツイッターなどインターネット上では「日本の誇り」「感動した」などという声が相次いだそうだが、何でもかんでも感動すりゃあイイってもんじゃない。あの異様な光景を目撃した後で、よくそんなことが言えるなあ……と思う。(さては、この国には「感動したい病」でも蔓延しているのだろうか?)
また、負傷しながらも演技を続行した羽生選手の“闘う姿勢”を「真のプロフェッショナル」と称える声も聞いたが、予期せぬ状況でも精神をコントルールし、肉体的コンディションを正しくジャッジする冷静さを持っているのが本当のプロフェッショナル(のはず)。詳細な検査も受けず、頭に包帯を巻き、顎に絆創膏を貼った痛々しい姿で、華やかな競技のリンクに立つべきではない。自分の逸る気持ちを抑えて無謀な行動を慎むのが世界トップの選手として取るべき態度ではなかっただろうか……
と、かつて単細胞の元首相が「感動した!ありがとう」と称えた「貴乃花VS武蔵丸」戦後の貴乃花の姿&世間の反応と(右膝の亜脱臼で全治2か月の負傷者と戦わされた「武蔵丸」が気の毒だった)、今回の羽生選手の姿が重なり、テレビを観ながら「棄権しなきゃダメ!」と声を発し、完全に引いてしまった私だが、そんな中年男の反応はさておき、彼に憧れる子供たちにも、間違ったメッセージを送ってしまったような気がして殊更残念に思う。羽生結弦の傑出した才能に感嘆し、その演技に魅了されてきた一人として、あえて苦言を呈したい。

で、羽生くん絡みのモヤモヤ気分は、日曜の『ごめんね、青春!』でスッキリ解消。名言、迷言飛び交う中で、とりわけ輝く「満島ひかり」……今回も出ましたキレッキレの名セリフ「人生は一度きりなんです!ガッついていこう!

※今夜は、池袋『酒菜屋』で友とサシ飲み。「人生は一度きり!落ち着いて飲もう!」

先週の話①(映画)


連休明けの4日から取り掛かったコピー(ラジオCM用)も程なく書き終え先週末に提出、即OKの返事。クライアントの評判も上々とのことで、まずはメデタシ。気分的に軽くなった土曜日(8日)は新宿に出かけ、武蔵野館で『誰よりも狙われた男』(監督アントン・コルベイン/製作2013年、米英独合作)

スパイ小説の名手ジョン・ル・カレの同名小説を映画化、今年2月に46歳の若さで急逝した名優フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作となった作品……舞台はドイツの港湾都市フランクフルト、登場するのはドイツの諜報部員たち(および介入するCIA)。P.S.ホフマンはそのテロ対策チームのボス「ギュンター・バッハマン」を演じる。

監督アントン・コルベインは、本作の映画化を決めた理由をこう述べている。
「現在、(アメリカが関わる様々な戦争・紛争が)対テロ戦争だと叫ばれる中、911後の世界はアメリカだけでなく世界中の状況を大きく変えてしまった。この物語でひかれたのは、どれだけ(対テロ戦争の影響が)我々の日常生活に反映され、簡単に人を判断し、全てを白か黒かではっきり見ているというところだ。この映画は白か黒かではなく、様々なグレーの部分が中間にあり、(それを尊重し、簡単に善悪を決めない)非常に人間味豊かな物語なのだ。(だが)多くのアメリカ人はそのような見解を持たない。彼らは常に“正しいか間違っているか”瞬時に決めるのだ。私にとって、このように私たちの日常生活に影響を与える仕事をすることこそ重要だと感じていたんだ」

……なるほど。映画の中でイスラム過激派として国際指名手配されていた密入国者イッサを巡るアメリカとヨーロッパの対立(本作の場合は、白黒を速断するアメリカVSグレーの部分を尊重するドイツ)、誰もが別の目論見と考えを持ちながらもそれを隠し、「世界の平和のため」と、異口同音に自分たちの諜報活動を正当化するあたりが、この映画のキモということか。(平和の為に軍隊が必要、平和の為に集団的自衛権が必要、平和を守ってもらうためにアメリカと一緒に戦う……そんな矛盾と詭弁の中で私たちも生きている)

そんなことを思いつつスリリングな心理戦に目を凝らす2時間余り…P.S.ホフマンの圧倒的な存在感、その渋い個性と迫真の演技にシビレながら、「そういうことね!」とタイトルの意味が腑に落ちるラスト。「バッハマン」が車のフロントガラスの向こうに消えていく、その完璧なフレーミングが、P.S.ホフマンの突然の死を表しているようにも思えて切なく胸に残る。(酒と煙草と孤独。哀愁漂う後姿を私たちの目に焼き付け、彼は、スクリーンからもこの世界からも消えてしまった。改めて合掌)

そして、エンドロールに流れた曲は、トム・ウェイツの「Hoist That Rag」……う~ん、とことん渋い!





2014/11/03

秋の京たび


秋だ「そうだ 京都、行こう」……というわけで、23日の旅をざっくりと。

1日目(1029日):国立博物館→祇園、先斗町、木屋町

午後1時過ぎ京都着。ホテルに荷物を預け、三十三間堂近くの国立博物館へ。特別展「国宝 鳥獣戯画と高山寺」(修理完成記念)目当ての長い列に加わり(1時間待ち)、館内に入ったのは3時半頃。さらに「鳥獣人物戯画」を観るために20分ほど並び、すべて観終えて博物館を出たのは5時近く。その足で祇園に向かい、商店街の喫茶「カトレア」(創業60年以上の純喫茶)で一休み。その後、四条通りをそぞろ歩きつつ木屋町方面へ。自家製豆腐料理店「豆水楼」の暖簾をくぐり、湯豆腐で一杯。











2日目(1030日):勧修寺、醍醐寺、平等院、三室戸寺、萬福寺

9時にホテルを出て、定期観光バス(950分発)で、醍醐寺・宇治方面へ。
最初の拝観場所は野趣溢れる庭園が魅力的な勧修寺(かじゅうじ)。水面輝く氷室池にはハス、花菖蒲、カキツバタなどが植えられ、初夏から夏にかけて庭園を美しく彩るそうだ。

秀吉の“醍醐の花見”で有名な醍醐寺は三宝院のみの見学(庭園を眺める外国人旅行者多し)。気分的・時間的にやや物足りなかったが、美しい空間を堪能。
「人の成功、失敗、1200年ぶん。京都は勉強になります。」というJR東海のポスター・コピーが頭に浮かんだ平等院は、約950年前、藤原氏最盛期に建てられた「鳳凰堂(阿弥陀堂)」が今年9月に約60年ぶりの大規模修理を終え、一般公開されたばかりということで、長蛇の列(2時間待ち)。そのため拝観は叶わず散策のみ。(残念!)
三室戸寺は「あじさい」の名所として有名、芭蕉の句『山吹や宇治の焙爐の匂ふとき』が刻まれている句碑あり。



ツアー最後の見学場所「萬福寺」は、1661年に中国の高僧、隠元禅師によって建てられたお寺。そのため、建築・仏像など中国様式でつくられ、至る所に中国っぽい雰囲気が漂う。鎖国の時代でも、人の心はオープンだったのだなあ……と思いつつ、魅力的な声の僧侶ガイドの案内に耳を傾ける。スイカ、蓮根、精進揚げ、けんちん汁、インゲン豆、そしてダイニングテーブルに椅子……すべて、隠元禅師が日本に持ち込んだ“おみやげ”とのこと。勉強になりました。(午後4時半、京都駅前着)




3日目(1031日):興正寺、西本願寺、東本願寺、京都タワー

駅前地下街(Porta)のイノダコーヒーで「京の朝食」をとった後(京都に来たら、ここのモーニングは外せない!)、一端部屋に戻り、まとめた荷物をコインロッカーに入れ、10時過ぎにホテルを出発。まっすぐ西本願寺へ向かう。(駅から歩いて15分ほどで到着。隣のお寺「興正寺」にも立ち寄り、15分ほど拝観)




世界遺産にも登録されている西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山。親鸞聖人の没後、娘の覚信尼が現在の知恩院付近に廟を建てて御影堂としたのが起こりとされ、現在の場所に移ったのは、天正19年(1591年)とのこと。桃山文化の代表建築らしく、実に重厚・広大、しかも豪華絢爛で、庶民の味方・親鸞のイメージとはあまり重ならないが、秋の特別公開「飛雲閣」「仏飯所」、「波の間」や樹齢400年の大銀杏も含め見所・見応え十分のお寺だった。(本堂では、親鸞の教えを説く僧侶の声に耳を傾けながら暫し瞑目。門の外では、見学に飽きた?子供たちが遊んでいた)


西本願寺から東本願寺までは、徒歩で10分ほど。道すがら、路地を覗いていたら「さかな串谷」の看板が目に留まり、気になって入店。町の小さな「魚屋さん」の店内には、見るからに美味そうな魚と惣菜がキレイに並べられていて、思わずニンマリ。晩メシのおかずに、金串に刺してあった鰤の照り焼きとカニの身、湯葉とキノコの和え物、お新香などを買う。(実にうまかった!)
東本願寺は、真宗大谷派の本山。御影堂は西本願寺と比べてもかなりの大きさだが、雰囲気的には大幅スケールダウン。おまけに阿弥陀堂が修復工事中のため拝観できず「ここは、さらっと眺めるだけでいいかも」と、10分ほどで門を出た。(途中、白壁沿いを歩くサギの姿あり。修学旅行生の姿も目に付く)
初めて入る「京都タワー」の1階フロアは、少し狭い「東京タワー」という懐かしい風情。展望台には向かわず、大浴場(スーパー銭湯)があるというレトロな地下を散策。銭湯は写せないので、そのフロアにある床屋さんをカメラに収めた。その後、地下通路を抜け京都駅へ。駅内の京都茶寮で抹茶を飲んで一休み。伊勢丹で昼食代わりの鯖寿司、売店でビールを買い1520分頃「のぞみ」に乗り込み、帰路に就く。