2014/02/24

台湾4人旅。


17日から20日まで、旧友2人&家人と共に34日の台湾旅行(参加者14名の格安ツアー)。

17日は午前520分空港集合ということで、4人揃って蒲田駅近くの「相鉄フレッサイン」に前泊。Y君が手配してくれた店、魚料理では蒲田No.1と呼び声が高い「千代の追風」で、絶品の肴に舌鼓を打ちながら旅行前の前夜祭……途中から、隣の席の女性2人(40代前半)も宴の輪に加わって3時間余り、旅行と無関係の話で大盛り上がりの酒席となった。


さて、旅行1日目……羽田発720分、台北着1120分頃(現地時間1020分)。
着後すぐにバスに乗り、山の斜面にある町「九份」へ。町中に赤い提灯がぶら下がり、入り組んだ狭い路地にびっしりと飲食店・土産品店が軒を連ねていた(『千と千尋の神隠し』の舞台となった場所と言われているが、ジブリは否定している)。昼食後30分ほど路地を散策(顏なしの格好をした物売り&昼寝中の猫に会う)、その後、特急列車で宿泊地「花蓮」に向かった。


2時間余りで「花蓮」到着。ホテルへ向かうバスの中で、名ツアーガイドのソさんの勧めに応じて台湾原住民「アミ族」の舞踊ショー見学を申込む。
で、思いがけず(と言うか否応もなく)、その舞踊ショーに参加させられる羽目に(車中でのスリリングな抽選ゲームに負けてしまった結果)……観客約300人。「アミ族」が“結婚式の踊り”を披露するクライマックス、観客席から引っ張り出された私は「花婿」役として民族衣装を身に着け、舞台中央へ。土下座のような格好でお祓いを受けた後、アミ族の若者に手助けされながら「花嫁」を背負子で担ぎ、観客の声援に手を振り応え場内一周。そのまま舞台袖に引上げ「やれやれ」と安心したのも束の間、「花嫁」から「オシリ、オシリ!」と厳しい口調で踊りのレクチャーを受け、再度、花嫁&若者たちと手をつないで舞台に。鳴り響くリズムに合わせて(?)微妙にお尻を振りながら、ほとんどヤケクソで踊りまくってしまった。



2日目は、朝7時過ぎにホテルを出発し、花蓮の景勝地「太魯閣峡谷」へ(大理石が浸食された渓谷で、断崖絶壁が何キロも続く)。見たこともないほどのスケールに一同唖然(写真では、その驚異が伝わりにくいけど)。


30分ほどの「太魯閣」観光を終えた後、市内の大理石工場を見学し、普通列車に乗って5時間半、台湾第二の都市「高雄」へ。(出発駅のホームで「教育勅語」を朗々と暗唱し、私たちの前で披露する86歳の元気な老人と遭遇。高らかに彼が歌う軍歌の名曲「海ゆかば」に送られながら乗車……今も残る日本統治時代の深い傷跡を見せられたようで複雑な気分に)

車内では、骨付き豚肉がご飯を覆うボリューム満点の駅弁に御一行様大仰天(肉の味は微妙だったが、肉の下に隠れていた煮玉子は絶品)。
車窓から眺める風景は、山と畑と点在する壊れそうな家屋(&遠く微かに青い海)……だが、終点の「新左営」駅に降り立つと、風景は一変。台湾高速鉄道の開通によって作られた駅らしく、屋根は波のような曲線を描き、構内はまるで空港ターミナルのような雰囲気。窓からは漢字の看板に混じって、ビルの谷間に「ユニクロ」のロゴも見えた。

ここ高雄での観光のハイライトは、北郊外にある淡水湖「蓮池潭(リエンツータン)」。湖上に七重の塔が二つ建てられていて、左の塔には竜、右には虎がつけられており、両方とも大きく口を開けていて、中は空洞。自由に人が通れるようになっている。観光客は、「悪魔が渡って来られないように」と架けられたジグザグの橋を渡って、竜の口から入り、塔に登って虎の口から出るのが順路らしく、私たちも「塔」を省いてそれに従った(虎の口から出ると、災いから逃れられるとのこと。中国の故事「虎口逃生」に基づいているそうだ)。そのあと、物珍しさにつられ露店の果物屋で「釈迦頭(シャカトウ)」という台湾フルーツを購入(少々くどい感じだが、今までに味わったことのないミルキーな甘さ)。


街での夕食後、六合二路の夜店散策(台湾名物、夜市)。名物の臭豆腐や色々な香辛料が入り混じった複雑な臭気漂う中、立ち並ぶ露天を遠目に覗きながら30分程度ブラブラ歩き。「刺青」の店以外は、特に印象に残る店もなく(夜店で刺青!?危なすぎ!)、何も買わず、何も食べず、4人並んで記念写真を撮った後、ツアーバスでホテルへ。到着後、男3人で近くのコンビニへ出かけ、台湾ビールとジョニ緑(ジョニ・グリーン)&つまみ少々を仕入れ、ゴージャスな部屋で乾杯(ホテルは3日間ともハイグレードで文句なし)。家人を交え2時間ばかり旅の話とバカな話で盛り上がった。





3日目は、朝から雨模様。最初の見学地、高雄最大の湖「澄清湖」(人造湖)も霧で曇ってほとんど見えず、次に向かった台湾で最も美しい湖と言われる「日月潭」湖畔観光も雨に霞み、寒さに震え、目をなごますこともなく、昼食時に呑んだ16年もの紹興酒の円やかで温かい味の記憶だけを舌と喉に残し、一路バスで台北へ向かった(約230キロ、3時間半のバス旅)。

台北に着いたのは午後6時半頃。この日も旨い台湾料理を食べながら、紹興酒で乾杯(いつも私たちの席だけ酒が進むようで…)。夕食後、バスでホテルへ。チェックイン後、すぐに4人で集まり、夜の台北“街歩き”。タクシーで目当ての居酒屋がある「永康街」を目指した。
タクシーが止まったのは、「昭和町」と称する骨董屋街あたり(「永康街」自体、日本統治時代に「昭和町」と呼ばれていたらしい)。骨董屋街と言っても、小さなビルの1階フロアに数店の骨董屋さんが軒を並べているだけ。売っているものも、ほとんどガラクタばかりで、あまりヤル気のなさそうなオジサン方がコチラを見ることもなく椅子に座ってまどろんでいるという、ゆる~い空気感が漂う場所。なので、早々に探索を切り上げ、目指す居酒屋「大隠酒食」を探し歩く。すると、反対方向から歩いてきて私たちの前を通り過ぎた若い女性が、数十メートル先からわざわざ戻ってきて「どこかお探しですか?」と流暢な日本語で声をかけてくれ(聞けば、学校で日本語を学んでいるそうだ)、「大隠酒食」の場所を丁寧に教えてくれた。(タクシーの接客マナーといい、ホント、台湾の人は親切!)
「大隠酒食」に入ると店内は超満員。仕方なく外で待っていると「日本の人?いま空くから少し待ってて」とオーナーらしき年配の人(日本人?)に言われ、1、2分で2階の席へ通された。(店ではカボチャ入りビーフン、しじみの醤油漬け、スズキの塩焼きを肴に、台湾ビールで乾杯。ささやかに台北の夜を味わい、心地よくホテルへ帰った)





最終日は、台北市内観光。朝750分にホテルを出発し、バスで10分ほどの「龍山寺」へ。1738年創建というこのお寺、今までに何度も戦禍に見舞われ、改修と再建を繰り返しながら、この地の信仰を一身に集めてきたそうで、仏教・道教に関わらずたくさんの神様が一堂に祀られており、この日も、数えきれないほど多くの人々の「お経を読む(と言うより歌う)声」が響き渡っていた。


次の見学場所「中正記念堂」に行く前に、龍山寺付近の通りと路地裏を少し覗き見。


ツアーバスは、10時の衛兵交代儀式に間に合うように「龍山寺」を出発し、「中正記念堂」へ。「中正」とは、中華民国の初代総統である蒋介石のことで、記念堂は蒋介石を偲んで(?)建てられたもの。2階の正面フロアには蒋介石の銅像が鎮座し、その前で毎日8回の衛兵交代儀式が挙行され(衛兵はすべて身長178cm以上のイケメン)、オバサン方必見の観光スポットになっているようだ。まあ、蒋介石の銅像を含めて私的にはあまり興味の湧かない場所。(でも、取りあえず記念撮影)



「中正記念堂」見学の後は、免税店でラスト・ショッピング。もちろん、高価な物には手を出さず、土産用に烏龍茶、パイナップルケーキ、値の張らない工芸品などを購入。
昼食は、世界的に有名な「鼎泰豊(ディンタイフォン)」で、激ウマ小籠包・焼売・炒飯など……「故宮博物館」見学に備えて我がグループは酒を一滴も飲まなかったが、大満足のラスト・ランチとなった。

ということで、最後の見学場所であり、今回の旅行の目玉「故宮博物館」へ。(館内は写真撮影禁止)
観光客に大人気の「翠玉白菜」(翡翠の原石を用いて作られた白菜、緑の葉先にはキリギリスとイナゴがしがみついている)、「肉形石」(豚の角煮にそっくりの天然石)、「九層象牙球」(1本の象牙を用いて作られた精緻な彫刻。故宮博物館随一の宝とも言われている)などは長蛇の列。待ち時間だけでも3040分を要し、2時間の見学時間もあっという間……それでも多少、自由にゆっくり見られる時間があり、清朝時代の秘宝の数々を拝むことができた。(特に印象に残っているのは48枚の翡翠でできた「清朝・翡翠の屏風」。あまりの美しさにため息)


以上で、すべての日程が終了し、バスは台北松山空港へ。

ターミナルで、ツアーガイドの蘇さんとお別れ、記念写真……働き者だった亡き母に、横顔がそっくりの68歳の女性ガイド。そのプロ意識の高さ、サービス精神、優しさ、バイタリティはこの旅の最も貴重なエッセンスであり、親しい仲間と共に楽しく忘れがたい時を過ごすことができたことに心から感謝したい。

(パスポート紛失騒動、お土産品置きっぱなし事件、その他物忘れの激しさ故に数々の出来事があったけど、すべて良き旅の思い出……みんな、お疲れさん!)






2014/02/16

「狼」に失礼だ。



2週連続の大雪……先週同様、昨日も朝からご近所さんと一緒に自宅周辺の雪かき。

「まいっちゃうね~、こんなに降られちゃ」と、皆さん異口同音におっしゃるが、駅前の八百屋のオジサンが言うには、雪はこれで終わりじゃなく3月まで度々降るそうで……あ~、早く春が来ないものか。

さて、先日「Tジョイ」で観たマーティン・スコセッシの新作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』……1980年代末から1990年代、証券界の若き風雲児として巨万の富を築きあげながら、証券詐欺の違法行為で逮捕され、ウォール街から去った実在の株式ブローカー「ジョーダン・ベルフォート」の10年間を、ベルフォート自身の回想録を基に描いた実録ドラマだが、その感想を手短に。

まず、全体の印象を端的かつ好意的に表現するなら、分不相応な金を稼いだ男の荒廃した人生に肩入れした金融ブラック・コメディとでも呼ぼうか……アカデミー作品賞、監督賞、そしてディカプリオが主演男優賞にノミネートされているからといって、それに値するほど高いレベルのエンタテインメント作品とは思えないので、あまり期待はしない方がいい。もちろん、涙や感動とも無縁だ。

まあ、“コメディ”なだけにソコソコ笑える部分はあるのだが、すべてシニカルな笑い。独創性の欠片もない連中のアホらしいほど意外性のないドラマを、酒とドラッグとセックスの狂乱によって見せられるだけの無意味で厭世的気分に満ちた3時間を過ごした後、口を突いて出たのは「くっだらねえ~!」の一言。(確かに、ディカプリオは“熱演”だが、映画の内容的に“役者の無駄遣い”という感じ)

リアリズムとは、無批判かつ無責任に社会や誰かの“真実”を描くことではないだろうに……と、スコセッシに文句の一つも言いたくなるような後味の悪い映画だが、そんな主人公を「ウルフ」などとカッコよく持ち上げては、厳しい自然の中で苛酷な縄張り争いを繰り広げながら必死に生き抜く、本物の「狼」にも失礼な話だと思う。




2014/02/12

マンチェスター&ハート・ブレイク・ホテル



昨夜の『世界ふれあい街歩き』(NHK BSプレミアム)は、19世紀の産業革命で中心的な役割を果たしたイギリス有数の商工業都市「マンチェスター」。(サッカー日本代表・香川真司が所属する「マンチェスター・ユナイテッド」のホームタウン)

街には、綿工業が栄えていた時代に造られたレンガ造りの綿紡績工場(ミル)や倉庫(ウエアハウス)の跡、産業革命期に整備された運河や製粉所のネットワークが今も残されており、カメラは、その運河の船着き場や若者の街へと変貌を遂げたオシャレな倉庫街を歩きながら、様々な人との“ふれあい”を映し出す。

サッカー好きの私としては、マンUの本拠地オールド・トラッフォード周辺も多少紹介してほしかったが、昔好きだった曲「マンチェスター&リバプール」の雰囲気が感じられる渋い町並み&雨の多い町での暮らしを楽しみながら生きる人々の姿も十分に魅力的。
中でも特に印象に残ったのは、ショッピングビルの壁面に描かれた様々な人物のモザイク画……マンチェスターゆかりの人々が描かれているというのだが、伝説のパンクバンド「セックス・ピストルズ」の画の下に、何と「マルクス」と「エンゲルス」の顔が並んでいた。
「雨の多い町だから、マンチェスターの人はあまり外に出ない。その分、部屋で自分と向き合う中で、芸術や哲学に親しむ時間が多くなり、様々なカルチャーが生まれた」と語ってくれた制作者(モザイク・アーティスト)に聞くと、二人は産業革命の時代に“研究旅行”でこの町に滞在していたらしい。
まあ、「産業革命」という言葉自体、エンゲルスによって広められたのだから、ゆかりの人々として描かれているのは驚くことじゃないが、アナーキーなバンドと社会主義思想家の時を超えた壁面の“共演”が実に絶妙で面白く、「センスいいわ~」と唸りつつニヤニヤ。

で、もうひとつ心惹かれたのは、運河で魚釣りをしていた初老の男性との“ふれあい”の中での会話……(大体、こんな感じ)
「魚、釣れるんですか?」
「もちろん。先週なんか80cmの大物が釣れたよ」「えーっ!スゴイ」
「毎日、ココに来るんですか?」「まあ、そうだね……」
「ご家族は?いつも来て文句言われないの?」
「家族はいないよ。カミさんに、逃げられちゃったんだ……ハート・ブレイク・ホテルさ」
「えっ、エルヴィスの?」「ん?一人暮らしっていう意味だよ、知らなかった?」

傷心の住処……一人暮らし。そうか、「ハート・ブレイク・ホテル」は、日常会話でこんな風に使うのかと、孤独な暮らしを自嘲気味に茶化すオジサンの言葉に感心しながら、やはり男に必要なのは多少のユーモアとやせ我慢。いい歳になったら、普通にこういうシャレたセリフが吐けないと、いけないなあと思った。

というわけで、今夜の〆は「マンチェスターとリバプール」「ハート・ブレイク・ホテル」の2曲。歌詞の一部を添えて(訳詩者不明)。



「マンチェスター&リバプール」(ピンキー&フェラス)

♪マンチェスターとリバプール
 どう見てもロマンチックなお馬鹿さん向けの街ではない。
 せかせかした足取り、埃だらけの通り。
 日々のため生きている人たち。

 でも煙と石炭片の後ろに
 大都市の鼓動を見つけるはず。
 どこをさまよっても 故郷は故郷。
 どんなに遠くに旅しても



「ハート・ブレイク・ホテル」(エルヴィス・プレスリー)

♪あいつにふられたあとで
 やっとみつけられたよ
 新しい住処の名前は
 ハート・ブレイク・ホテル
 さびしかったよ
 ひとりじゃいやだよ
 死ぬほどさびしいよ





2014/02/08

美談は疑え



夜になっても外は猛吹雪。そのせいか、今夜は特にサム…ラゴウチ……

 と寒いダジャレを飛ばしたくなるほど、ここ数日、「現代のベートーベン」と謳われていた全聾の作曲家が、実は作曲家ではなく単なる楽曲プランナーだったという“衝撃の事実”が様々なメディアで繰り返し取り上げられ、世間を騒がせている。

もちろん私も「え~っ?!」と驚いたわけだが、幸か不幸か彼のファンでもなければ、その曲を聴いたことすらないので、それほどショックというわけではない。

ただ、以前NHKの番組で「自分のためでなく、みんなが幸せになれるように曲を書いている」「音楽は無償の愛というべきもの」などと語りながら、自身の壮絶な作曲生活を明かす姿を見て、少し息苦しさを覚えつつも、こんな「聖人」が作る音楽に私のような不謹慎な人間が近づいてはいけない……と、微妙な違和感とともに畏怖の念を抱いたこともあるので残念に思う。

さらにショック&残念を上塗りするように、本当に「耳が聴こえなかった」のは、全聾・被爆2世という「苦難の物語」に魅かれてCDを買い求め、入手困難なチケットを何とかゲットしてコンサートに出向いた善良な人たちだった……という寂しいオチまでついてしまいそうでうそ寒い気分になるが、メディアを含めて誰しも感動話には弱く、簡単に喰いつくもの。私同様、普段クラシックを聴かない人たちが、音楽的評価以前に「物語」(曲を聴く動機や意味)を求めるのは仕方のないことかもしれない。

とはいえ、今回の件で改めて思ったのは、やはり誰もが感動するような(もしくは感動させるような)美談は最初から疑ってかかるのが賢明ということ。とりわけこんなご時世においては……

で、美談と言えば、映画『永遠の0』が大ヒットしているらしい。

私自身は、3年ほど前に「真実と感動の歴史がここに」という帯にひかれて原作を読んだこともあり、その時の印象から(色々な戦記もののカッコいい部分だけを都合よくつなぎ合わせた勝手な「史実」を元に、不誠実かつ浅薄な意識で「特攻」を「感動モノのエンタテインメント」に仕立てた、あざとい作品だと思った)、まったく観る気は起きないが、若い世代の人たちのレビューを読むと「戦争は絶対に起こしてはいけない」「この悲劇を後世に伝えたい」などの感想が多くみられ、映画自体は戦争を知るきっかけとして悪くないデキなのかも?と思ってしまう……でも、やはり戦争に感動もクソもない。いくらフィクションとは言っても、アジア近隣諸国への侵攻を図った「侵略戦争」の愚かさに触れず、「死ね」と命じた者たちの罪と責任を問わず、意図的に「特攻」の悲劇を「祖国と愛するものを守るために死んだ」などと美化してはいけない。

また同時に、世界のどこの国でも、国民が自信を失ってくると安易なナショナリズムが首をもたげ右傾化するそうだが、美談と感動をセットにして、ゆっくりと進行する「愛国エンタメ」ブームの陰で、「日本を取り戻す」などと叫びながら、やりたい放題・言いたい放題に国の仕組みを変え、国民主権を実態的に捨て去ろうとする政治家や某局の経営委員がいることを、忘れてはいけないと思う。

さて、明日は東京都知事選。この雪で投票率も落ちるだろうし、まったく盛り上がりませんね~。

2014/02/02

「いのちをいただく」ということ。



思いのほか長引いた風邪も癒え、30日(木)は久しぶりに「ポレポレ東中野」へ。

大阪・貝塚市東町(昔は「嶋村」という地名)で江戸時代から7代に渡り「屠畜」を生業にしてきた一家を追ったドキュメンタリー『ある精肉店のはなし』(監督:纐纈あや)を観てきた。

作品の舞台となる「北出精肉店」は、生産直販(牛を飼い、牛を解体し、その肉を販売する)という全国的にも珍しい形態をとる家族経営の精肉店。先代の静雄さん亡きあと、その長男・新司さん、次男・昭さん、長女・澄子さんの三兄弟と、新司さんの妻・静子さんの手によって支えられている。

映画は、その精肉店の牛舎から出された1頭の牛が、昭さんに曳かれて住宅街を闊歩するシーンから始まる。牛の行く先は市営の屠畜場……そこで待機していた新司さんが牛を導き、広いコンクリートの床に立たせて数秒後、画面に家族の緊張が走り、牛の額に突起のついたハンマーが振り下ろされる。ガクンと膝を折って倒れた牛の眉間から脊髄に向けて、素早くワイヤーが通され神経を破壊、気絶した牛はもう痛みを感じない。心臓が動いているうちに頸動脈を切り体中の血を流しきる。あっと言う間の生の終わりと新しい価値への再生。その先は、新司さんがたった一本の包丁で皮を剥ぎ、肉を切り分け、立派な「枝肉」となるまで、家族総出の解体作業が見事なチームワークで流れるように手際よく進行する。(もちろん、皮も内臓も丁寧に処理され、一切無駄なものがでない)

屠畜に要する時間は約1時間。映像的には15分程度だったと思うが、そこまでの流れで私は完全にスクリーンの虜。初めて目にした「屠畜」の生々しさが脳裏から薄れるくらい、芸術的で巧みな職人技に魅せられ、圧倒され、職能への敬意の念とともにその伝承の歴史に対する興味が沸々と湧き、「北出精肉店」の人々から目を離せなくなってしまった。
と同時に、私たちに成り代わって「屠畜」という精神的にも肉体的にも厳しい作業を行ってくれている人たちがいるからこそ、私たちは美味しい肉を食べることができる。「いただきます」は、文字通り「いのちをいただく」ことであり、命は命によって生かされている。そんな当たり前のことを、改めて頭と目と胃袋で気づかせてもらった気がした。

そしてカメラは家族や地域の日常を追いながら時間軸をさかのぼり、《ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引き裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの世の悪夢のうちにも、なほ誇りうる人間の血は涸れずにあった》という「水平社宣言」の一文を捉え、今も根強く続く差別と被差別の歴史を観る者の胸に知らしめる。
新司さんも昭さんも高校時代に「水平社宣言」を読んで部落解放運動に参加。以来「差別をする側の意識を変えるためには、自分たちの体質を変えていくことが一番大事」と考え、新司さんは本業の中で見据えた命の大切さとその本質を「食文化」を通じて多くの人に訴求するとともに、講演会等で「屠畜」という職業への誇りを語りながら人権教育にも力を入れる。昭さんは、自ら皮をなめし“だんじり太鼓”をつくり地域の「祭り文化」に貢献する傍ら、府内の小中学校での体験学習にも出向き子供たちの「太鼓作り」を指導している。それは「解放運動」というより新たな文化の創造――。優しく穏やかな新司さんのたたずまいが印象的だ。

その後、映画は地域の年中行事を仮装や踊りで思いっきり楽しむ「北出家」の明るい笑顔を描写しつつ、その奥にある「自分たちの仕事を隠さず、ちゃんと胸を張って、村のことを考えて差別をなくす」という一家の真意も捉えて、最後の「屠畜」へ。
20123月、102年続いた屠場が、「獣の魂」に祈りを捧げる北出家の人々に見守られながらその歴史に幕を下ろした。



こうして108分の映像が終わり、何故か熱い胸に残ったものは、「食卓の向こう側」で生きている人々への尊敬と感謝の思い。
帰りがけも、素晴らしい映画と家族に出会えた嬉しさのせいか、傘を握った手は冷たさを感じず……そして不思議なことに屠畜の生々しい場面を凝視したにも関わらず食欲増進。久しく食べてないサーロイン・ステーキが無性に食べたくなった。

で、昨日の『ごちそうさん』(NHK朝ドラ)を観て“ステーキ欲”はさらに急上昇。丁度、仕事のギャラも入ったし、今日の晩メシは迷わずワイン&ステーキに決めた。

※ちなみに、屠殺シーンや部落問題をタブー視する「テレビ局の掟」があるらしく、この映画がテレビで紹介されることはないようだ。(特に、アホな会長が就任した某局では無理だろうなあ)