2014/01/25

初風邪&ジャック



4、5日前に引いた風邪もどうやら回復傾向。まだクシャミと鼻水は出るが、喉の痛みは治まった。(ただ、薬の影響だろうか、少し頭がボーッとしている)

このままおとなしくしていれば、明日にでも完治しそうな気もするが、間が悪いことに今夜は高校の部活の仲間との新年会……取り仕切る私がドタキャンするわけにもいかず、「風邪なんかぶっ飛ぶよ」と八百屋で勧められて買った「黒にんにく」一片を食べ、「今夜の酒は控え目に!」と心に期して飲み会に備えている昼下がり。

天気予報では「今日は3月下旬並みの暖かさ」と言っていたが、その割には風も冷たく、部屋に居ても気温が上がっている感じはしない。
でも、足元だけは頗る温か……と机の下を覗いたら、タイミングを合わせたように黒猫ジャックが起き上がり、椅子に座っている私の顔を見上げ「ニャー」とひと鳴き、メシの催促。(今日も食欲旺盛のジャックは、ペロリと平らげ、そのままリビングの床でゴロン)

そんな、ジャックの最近の姿がコレ。





では、私も「ヨシッ!」と一声、気合を付けて、出かけましょうかね、新宿へ。


2014/01/16

日本橋で、エルヴィス生誕祭。


「すべてはエルヴィスから始まった」――ジョン・レノン

エルヴィス・プレスリー没後、その誕生日(18日)に合わせて、毎年行われてきた「エルヴィス生誕祭」(TRIBUTE TO ELVIS)が、111日(土)に日本橋公会堂で開催された。
(生誕祭は、2本のフィルム上映と湯川れい子さんのトークショーによって構成。私は去年に続いて2度目の参加)

開演1200。司会はラジオ日本の「THIS IS ELVIS」(毎週火曜深夜)でDJをつとめるビリー諸川。彼の軽妙かつ歯切れ良い挨拶の後、『ELVIS’56』の上映がスタートした。

このフィルムは、エルヴィスの人気が沸騰した1956年にテーマをしぼり、映像と画像で若き日のエルヴィスの魅力を紹介したもの。時に、エルヴィス21歳(ちなみにジョン・レノン16歳、ボブ・ディラン15歳、ミック・ジャガーとキース・リチャーズ13歳)……
「ミシシッピなど南部のブルースが、エルヴィスの音楽の根底にある」というのは言わずもがなのことだが、当時、深刻な人種差別問題を抱えていたアメリカにあって(キング牧師が全米各地で公民権運動を指導していたのもこの頃)、黒人音楽のビートとダンスを白人の音楽であるカントリー&ウェスタンに掛け合わせたようなエルヴィスの音楽は、言わば“ご法度”もの。保守的な大人たちの猛反発にあい弾圧運動が展開されていったわけだが、それを跳ね除けブームを拡大していく若者たちのエネルギーが眩しいほど目に飛び込んでくる(特に若い女性)。そんな時代の熱い風を感じながら聴く、若きエルヴィスの歌声もまた絶品。ゾクゾクしっぱなしの1時間だった。

上映終了後、10分の休憩を挟んで、「アカプルコの海」に合わせたという赤いウールのジャケット&ロングスカートで、エルヴィス“命”の音楽評論家・湯川れい子さんが登場。エルヴィスの死因が、当時から語られてきた「処方薬の極端な誤用による不整脈」ではなく、実は「メガコロン(巨大結腸症)」だったということなど(検査で飲んだバリウムが排泄されずコンクリートの塊のように残っていたそうだ)、興味深い話を15分ほどされた後、ゲストの尾藤イサオさんを席に招いて恒例のトークショー。

観客への挨拶も早々「先生には、いつも本当にお世話になって」と、湯川さんに語りかけた尾藤さん。「この前も、ポール・アンカのチケットを、本当にいい席を取っていただいて…」とつないだ所で、「ポール・アンカじゃなくて、ポール・マッカートニーでしょ!」と、湯川さんの速射砲を受け、椅子から飛び上がり敢え無く撃沈。会場大爆笑。

にしても、「尾藤イサオ」が、もともとは寄席芸人(曲芸師)を目指していたとは(10歳の時から芸人さんの内弟子になって修行を積んでいたそうだ)……しかも、修業の終わる6年目に、買い物帰りの道すがら蕎麦屋の暖簾の奥のラジオから流れてきた「ハートブレイクホテル」に衝撃を受け、寄席芸人になるのをやめてロカビリー歌手を目指すことに決めたと言うのだから二度びっくり。まさに、エルヴィスなくして「尾藤イサオ」なし。「そうですね。あの時代は、エルヴィスでしたね……」と語りつつ、当時の記憶が胸に去来したのか、感極まって言葉が詰まったのもナットク。
そんな彼が、「1960年にアメリカに渡り、メンフィスのエルヴィス邸の門の前で写真を撮ってきた」というエピソードを明かすと、湯川さんも初耳らしく「えっ、メンフィスまで行ったの!?、だって1617の頃でしょ!?」と目を丸くしながら、「スゴイ!」と感激していた。
そしてトークショーの〆は、尾藤さんが歌うエルヴィス・ナンバー。サン・レコードでのデビュー・シングル「ザッツ・オールライト・ママ」と「ワン・ナイト」を御年70歳とは思えないパンチの効いた声で歌いきった。

で、何の話からそういう流れになったか覚えてないが、湯川さんの今年の抱負はトークショーでのやり取りで突然決まった「尾藤イサオ、エルヴィスを歌う」というライブを実現することと、東京都知事選での細川・小泉の脱原発タッグの応援活動だそうで……
「東京から脱原発を!」と、赤い気炎を揚げながら颯爽と華やかに会場から去って行った。

それから再度の休憩を挟んで、キング・オブ・ロックンロールのステージ完全復帰を描いた代表的ライブフィルム『エルヴィス・オン・ステージ』(1970年公開)の上映スタート。歌い終わりの指示を何度も出す真剣なリハーサルシーン、楽屋での茶目っ気たっぷりな姿など、貴重な映像に目を凝らしながら2時間近く、70年代のエルヴィスの豊かで深いヴォーカルとサービス満点の派手なステージアクトを堪能した。(特に、バンドに「忘れたの?」と演奏を促しながら、突然歌い出した「ワン・ナイト」がグー!)
ただし、ライブの舞台は「ラスベガス・インターナショナル・ホテル」。ロック・コンサートというよりは、お金持ちセレブが集まったディナー・ショーといった雰囲気で、その点、イマイチ乗り切れない感もあったが。

とはいえ、4時間の長丁場ながら、中弛みも疲れもなく気持ちよく楽しめた「TRIBUTE TO ELVIS 2014」。
主役はもちろんエルヴィスだが、安い入場料でもないのにこれだけ多くの人が集まるのは、湯川れい子さんの存在によるところ大。年一回、彼女の溌剌とした姿を目に留め、永遠のスーパー・ミーハーぶりにエールを送りながら、その若々しい声が彩るトークショーを楽しむだけでも、出向く価値があるというもの。来年も、ぜひ!

 

2014/01/12

年の初めの8日間。


ご機嫌な「あまちゃんメドレー」と不機嫌な「泉谷しげる」だけが印象に残った大晦日の「紅白」。
再び楽しませてくれた「あまちゃん」はさておき、その泉谷の件で一言……国民的行事と言われる場で、ニール・ヤングばりに「手拍子してんじゃねえ」と観客にブチギレ、引き際にギターを放り投げた彼の態度に、「紅白なんて、出なきゃいいのに」と、テレビを見ながら不愉快な気分になった人も多かったはず。
私も、彼が闘う場所と毒づく相手を間違えているとしか思えず、そのパフォーマンスに首を傾げた一人だが、歌の内容とメッセージに不似合いな手拍子を疎ましく感じたのも事実。その手拍子が醸し出す能天気な一体感を嫌悪する気持ちも理解できる。
きっと、彼の魂の中の「リトル泉谷」が、孤独や貧困と無縁の観客及びテレビの前の平和な茶の間に対し、「恵まれたお前たちのために歌うんじゃない。オレは社会的弱者のために歌うんだ」と“反骨のシンガー・泉谷しげる”らしく叫ばせた原点回帰の怒声だったのだろうと思う。まあ、とにかく、誰のライブでも安易な手拍子は慎みたいもの。

さて、そんな「紅白」が終わり、ほろ酔い気分の中で明けた2014年。

元旦は、10時頃から酒を飲み、刺身や煮物をつまみ、雑煮を食べ、テレビを見ながらダラダラうとうと……午後2時過ぎ「そろそろ初詣に行くか」と腰を上げ、年末に長い髪をアフロにした愚息を引き連れ例年通り近くの「東伏見稲荷神社」へ。
沿道から拝殿まで続く長い列に加わり約30分、僅かの賽銭で短く「無病息災」のみを祈願した後、引いたおみくじは初めて目にした「凶末吉」。何とも分かりにくい字面だが、年の始めはパッとせず、後半はまあまあ……といった感じだろうか。2月から4月にかけて、旅行やローリング・ストーンズの東京ドーム・ライブなど、楽しみなイベントを控えている身としては少し出鼻を挫かれた気分に。

2日は、ケーブルテレビでやっていた映画『ゴッドファーザー』(多分20回以上観ているけど)を、朝10時半から午後5時過ぎまでぶっ通しで観た後、6時過ぎから田無駅前の「与作」で、楽しい仲間(アートでメデタイ女3人)と恒例の新年会。お互いの近況や映画、音楽、サッカーなどの話で盛り上がった後、カラオケ店に移り、終電近くまで「初歌い」。私は去年の忘年会でしくじった3曲+清志郎の「雑踏」を絶唱(?)。歌のクオリティはかなり上がって気分良し。

3日は、去年から心に留めていた「Kawaii日本美術」展を観に家人と「山種美術館」へ。途中、恵比寿駅から3、4分の「恵比寿神社」に寄り、再度お参り。縁起直しに引いた「大吉」を木の枝に結んだ後、ランチの店を物色しながら駒沢通りを広尾方面に向かった。
で、入った店は《東京Vシュラン 餃子部門堂々第1位 恵比寿餃子》という看板が誇らしげに店頭に立つ「大豊記」。名物のデカウマ餃子と麻婆豆腐、牡蠣のワンタンスープを食し、グラス1杯の紹興酒を呷り、人通りが少なくひっそりとした恵比寿の街で、ささやかな正月気分。
「かわいい」を切り口として、日本美術の楽しさや魅力を探ろうとする美術展もなかなか興味深く楽しいものだった。特に目を奪われた作品は、奥村土牛『枇杷と少女』、伊藤若冲『托鉢図』、熊谷守一『とのさま蛙』、川崎小虎『ふるさとの夢』など。
尚、この展覧会の会期は13日~32日だが、一部展示替えがあり前期・後期に分かれており、若冲の代表作『樹花鳥獣図屏風』は2月4日から始まる後期の展示予定。(もちろん、観に行くつもり)

4日は、デザイナーのueちゃんのバースディ。50の大台に乗ったそうだ。改めて時の流れの速さを思う。でも、お互いFOREVER YOUNGで
5日は、WOWOWが熱かった。映画『仁義なき戦い』で血が騒ぎ、洋楽スペシャル「ザ・ローリング・ストーンズ ライブ・イン・ロンドン・ハイド・パーク2013スウィート・サマー・サン」で血が躍り、仕事始めの景気づけ。
6日は、仕事スタート。取りあえず、ポスター制作コンペ用の企画書を書き上げ、必勝祈願(競合10社につき、採用確率10%)。
7日は、近くのスポーツジムで「初走り」&軽く筋トレ、ストレッチ。(正月1週間で体重1.5キロ増……絞らにゃアカン!)

8日は、渋谷で「初映画」(活劇を観たかったが、今年は不作で食指動かず)。ホームシアターっぽい小さな映画館「アップリンク」のUPLINK ROOMスクリーン3(座席数わずか30席。しかも座り心地の悪いデッキチェア!)で、カナダ=フランス映画『わたしはロランス』を観る。
監督は弱冠24歳(製作時23歳)のグザヴィエ・ドラン、作品の舞台はカナダのモントリオール。
小説家で、高校の国語教師のロランスは、35歳の誕生日に突然、恋人の女性フレッドに「僕は女になりたい。この体は間違えて生まれてきてしまったんだ」と自分の秘密を打ち明ける。さて、そこから二人の愛はどこへ行くのか?……という物語。
2時間48分という長尺だが、ロランスのカミングアウトの瞬間から一気に加速する、強く切なく、破壊的なラブストーリーの展開に目も心も釘づけ。圧倒的な美意識に貫かれた数々の美しい場面にも魅了され、「凄い才能に出会ってしまった」と、驚くばかり。決して好みの映画と言うわけでもないのに、言葉にならない興奮の中でエンドロールを迎えてしまった。例えるなら、青春期に初めてゴダールを観た時のような衝撃か……「グザヴィエ・ドラン」畏るべし。

というわけで、少々遅ればせながら新しい年の「コトノハ舎ブログ」スタートです。今年もご愛顧のほど、どうぞよろしく。

2014年が、皆さまにとって、良い年でありますように。