2013/03/31

花冷えの日に…




NHKの朝ドラ『純と愛』が、ようやく終わった。

至極真っ当なメッセージでも、テレビドラマを通じて「私、イイことを話しているでしょ」的に語られると妙にシラケるものだが、昨日は特に聞き苦しく、花冷えの一日と符合してすっかり心が冷えてしまった。

一昨年、『家政婦のミタ』で脚光を浴びた脚本家・遊川和彦が「今までの朝ドラをぶっ壊す」と意気込んだ作品……確かに、朝ドラとは思えない濃密(というかドロドロ)な人間関係、穏やかな朝に不似合いな騒々しい主人公&リアルな人物設定など、きれいごとじゃない生身の人間&現実を描こうとしたという意味では悪くないドラマだったと思う。「愛(いとし)」役の風間俊介をはじめ、武田鉄也、若村真由美、舘ひろし、余貴美子等のキャスティングも魅力的で、中盤のストーリー展開は十分に楽しめた。

でも、こんなに語らなければ終われないというのは、ストーリー的な破綻を腕づくで捻じ伏せるようなもので(それすらパワー不足に感じるが)、とても成功作とは呼べない。その消化不良的な後味の悪さを含め、「ぶっ壊す」はずの遊川自身が爽快感も達成感も味わえないまま、“最後はみんなイイ人”で締めたがる朝ドラの規範(?)に白旗を上げたと言うか逆に“ぶっ壊された”気がするのだが、どうだろう?

さて、来週から始まる『あまちゃん』の脚本は宮藤官九郎。う~ん、異議なし!きっと彼なら、肩肘張らずに朝ドラの強力な武器である郷土色を活かして、楽しく爽快に朝ドラのイメージを“ぶっ壊して”くれるはず。私もさっさと『純と愛』から頭を切り替え、大いに期待し、楽しみたい。

で、話は変わって……昨日の朝日新聞・土曜be“うたの旅人”は、卒業式シーズンに合わせ「旅立ちの日に」。私も10数年前に、愚息の卒業式(中学)で初めて聴いた時は、年甲斐もなく胸キュンになったもの。この曲をカバーしたトワ・エ・モワの白鳥英美子さんが「歌い出しでサーッと鳥肌が立ちます」と言うのも頷ける。桜の季節に合うんだよなあ……というわけで、You Tubeで見つけた“Rock Ver.”を紹介。







2013/03/28

惚れたぜ、ロドリゲス!



俺もいい歳。ドキュメンタリー映画だって、数えきれないくらい観てきた。

でも、こんなに胸が熱くなる映画はなかったなあ。(ヨルダン戦のモヤモヤもすっかり消えた)

『シュガーマン 奇跡に愛された男』(オスカー 長編ドキュメンタリー映画賞受賞作品)

「この映画を観て何も感じない、涙も流さないなんて人は、も~、オニっ!」と“おすぎ”なら言うんだろうか……

どうやら俺は、鬼じゃない。制御する間もなくメガネの下を温い水が落ちてった。

「ただの幻にかたちを与えろ 永遠に」……社会の底辺に生きる者の叡智と想像力に満ちた歌声。汚れた町の路上を叩き撫でるように鋭く優しく流れるメッセージ。

ロドリゲス、あんたに会えて、良かった。

人間って、こんなにも素直で気高い魂を持って生き続けられるものなんだ。凄い人だなあ、カッコいいなあ……って心底思ったよ。(まさか、この年になって70歳の見知らぬミュージシャン&肉体労働者に惚れこむとは思わなかったけど)

以上、この映画に関しては、もう、何も言う必要はなし。運よく(?)ブログを覗いた人は、余計な知識なんていれずに、ただ映画館に行って、鳥肌ものの奇跡と彼の人生に会えばいい。そして観終った後、500円の薄っぺらいパンフレットを手に入れたら(2500円の国内盤サントラならさらにいいけど)、こんな言葉に会って二度泣きだぜ、きっと。

君の時間をありがとう。
君も俺の時間にありがとうと言う。
そしたらもう忘れてくれ。
             ――ロドリゲス
  





2013/03/21

「ジャック」近影




昨日は、我が家の愛猫「ジャック」の撮影会。

写真家のMIYUKIさん、デザイナーのUEちゃん、なんちゃって公務員のMOTOMI姉さん(スケッチ担当)の3人が興味津々やってきた。

お目当ての被写体は、みんなが玄関のドアを開けて入ってきた途端にビビリまくり、まっしぐらに押し入れに逃げ込んでしまったが、それは想定内。手慣れた私が半ば強引に連れ戻し、宥めすかしながらのスタート。で、ようやく被写体が椅子の上で観念したように丸くなった矢先、Miyukiさんのカメラが故障するという想定外のアクシデントに見舞われ、急遽UEちゃんのスマホが大活躍するというドタバタの3時間半……まったり昼寝タイムを奪われ終始ご機嫌斜めの「ジャック」は、何のポーズもとらず“黒い塊”状態だったが、仕事の打合せも行いつつ何とか終了。写真好き・マンガ好き・話し好きの大人4人にとっては、楽しい撮影会になった。




2013/03/18

「あの日」からの2冊



春先は妙に心が落ち着かない。お陰で2週間ほどブログの更新が滞ってしまった。(苦手なんだよなあ、木の芽時は)

その分、仕事の打合せや高校時代の友人たちとの飲み会など何気に忙しくもあり、気がまぎれたせいか不思議に本は読めた。(映画は『王になった男』を観ただけ……お見事、イ・ビョンホン!)

特に新宿で飲み会があった16日(土)は“飲む前に読書!”と決め、かなり早めに家を出て池袋西武のリブロへ寄り『女川一中生の句 あの日から』(編・小野智美)を購入。それと、金曜の制作打合せの際「コレ、すごくいいよ」と親しい仲間に薦められつつ頂戴した『あの日からのマンガ』(しりあがり寿)を携え、4時から飲み会開始の6時近くまで新宿東口「PRONTO」の喫煙席に居座った。(その前に、チラッと伊勢丹散歩)

最初に、3.11直後の新聞連載作品「地球防衛家のヒトビト」&同時期に書かれた短編を収めた『あの日からのマンガ』を一気読み。


『たとえ間違えているとしても、今、描こう』と未曾有の震災に向き合い、尊い犠牲に報いる道を一人の日本人として探りながら、凄まじいスピードで描き続けた漫画家の素直で真摯な魂に触れる一冊。「あの日」の自分と日本の姿が脳裏にズシンと重く蘇り、胸がザワついた。
それにしても、大笑いで愛読していたギャグ漫画の傑作『流星課長』から10年以上を経て、こういう作品に出合うとは……描かれて既に2年近く経つが、私を含め、束の間の非日常から、退屈な日常に戻ってしまったように感じる今こそ、多くの人に読まれるべき力作ではないだろうか。また、来年も「あの日」が来たら読もうと思う。

続いて『女川一中生の句 あの日から』……前書きにはこう記されている《東日本大震災の後、女川町の女川第一中学校の全校生徒200人が俳句を作った。2011年5月と11月に行われた2回の授業。津波で家族を、家を、故郷の景色を失った生徒たちが、季語にこだわらず、五七五に心の内を織り込んだ。時と共に深まる思いをたどる》

深い悲しみと喪失感の中で圧倒的な現実を受けとめ、自分の心と向き合い、その小さな胸の奥深く分け入り探し出した言葉の数々。そんな中学生たちの心の葛藤がヒシヒシと伝わる一句一句……言い知れぬ悔しさや涙を噛みしめ「上を向いて生きよう」と明るく歩き出す姿に胸を打たれながら、彼らの心からは決して生まれることのない「復興」の二文字は誰のための言葉なのか?と改めて思った。


(5月)

そばにいる 仲間がずっと そばにいる

春風が 背中を押して ふいていく

ガンバレと ささやく町の 風の声

見たことない 女川町を 受けとめる

故郷を 奪わないでと 手を伸ばす

ただいまと 聞きたい声が 聞こえない

逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて

見上げれば ガレキの上に こいのぼり


(11月)

一人ずつ 自分の笑顔 とりもどす

聞いちゃった 育った家を こわす日を

教室の 窓から見えた ショベルカー

こみあげる 無力感が 止まらない

 避難所で 夜中に鳴った 誰かの屁

 戻ってこい 秋刀魚の背中に のってこい

 コンビニの 窓にきたない 水のあと

流された 私のおうち ガレキ置き場

空の上 見てくれたかな 中総体

2013/03/06

『おとなのけんか』が面白い!



今日は4月中旬並みの暖かさだとか。ポカポカ陽気は嬉しいが、お陰で花粉も大量飛散、朝から目の痒みがとまらない。おまけに今年は花粉、黄砂、PM2.5の“トリプルパンチ”とか……当然、早めに薬を飲むなど対策は講じているが、強烈なパンチを交わせるほどの効力は期待薄。厳しい春になりそうだ。


さて、昨日DVDで観た映画『おとなのけんか』(脚本・監督ロマン・ポランスキー)。


あらましを紹介すると……登場人物は4人、子供同士のケンカで怪我をした子の両親(ジョディー・フォスター&ジョン・C・ライリー)と、怪我をさせた子の両親(ケイト・ウィンスレット&クリストフ・ヴァルツ)。で、加害者側の両親が被害者宅であるブルックリンのお洒落なアパートの一室を訪れ、和解のための話し合いを始める。

パッと見、立派な大人同士。最初は穏やかな雰囲気の中、お互い“良識ある態度”で相手を尊重しながら会話は進むのだが、加害者の父親(弁護士)にひっきりなしにかかってくる「携帯電話」のせいで、その場の空気が徐々に険悪なものになり、まとまりかけていた話もどんどんグチャグチャに……果ては話し合いの目的も“夫婦の絆”もぶっ飛び、誰もが本性あらわに言いたい放題。自爆同然に地雷を踏みあい、傷つきボロボロになって泥沼化してしまうというお話。

まさに敵味方入り乱れ、リング狭しのバトルロイヤル。その修羅場の滑稽さに、笑いっぱなしの79分。さすがポランスキー!と唸るほかない“シチュエーション・コメディ”の傑作だ。

もちろんキャストも文句なし。特に、「ペネロペ」役のジョディー・フォスター、4人の中で最も美意識が高くリベラルな思想の持ち主であるような彼女が、リベラルも良識もかなぐり捨てて顔をひきつらせながら罵る様など、恐ろしいほどイイ(というかメッチャおもろい)。

その“笑い事じゃないわよ!”的な強張った表情が、逆に笑いのポテンシャルを高めつつ作品の奥行を広げているわけで、この辺りが名女優の証であり脚本の妙。

で、観終った後、《人間、「保守」「リベラル」という思想的立場や信条に関係なく、年をとって丸くなるのは体だけ。寧ろ年を重ねるほどに他人の価値観に対して寛容さを失うものだよ。アナタも笑われないように気をつけなさい》……と、80歳の巨匠に諭されたような気になる一作。最後のオチも笑える。R50必見か!?


2013/03/04

競馬場で逢おう


「八頭のサラブレッドが出走するならば、そこには少なくとも八編の叙事詩が内包されている」とは競馬が大好きだった寺山修司の言葉。

若い頃から私は、彼の短歌同様、そのエッセイが好きだった。

特に、「モンタヴァル一家の血の呪いについて」というエッセイの中に書かれていた、不運な血統の馬モンタサンに捧げた一篇の詩が……

1967年の皐月賞。長引く馬丁ストライキの影響で体調を崩し、病み上がりの状態で出走してきた「モンタサン」は、「たとえ三本足で出てきても、おれはモンタサンに賭ける」というファンの声援も空しく惨敗……寺山はその宿命を哀しみつつ、愛した。

なみだを馬のたてがみに
こころは遠い高原に

酔うたびに口にする言葉は
いつも同じだった
少年の日から
私はいくたびこの言葉をつぶやいたことだろう

なみだを馬のたてがみに
こころは遠い高原に

そして言葉だけはいつも同じだったが
馬は次第に変わっていった
今日の私は
この言葉をおまえのために捧げよう

モンタサンよ                                   (寺山修司『馬敗れて草原あり』より)

「競馬が人生の比喩ではなく、人生こそが競馬の比喩だ」という警句を残した彼は、よく「競馬ファンは馬券を買っているのではなく、自分自身を買っているのだ」と言っていたものだ。すなわち、どの馬に勝ってほしいかは、自分がどう勝ちたいかに他ならないと。

さて、長い前置きになってしまったが……

先週の土曜日(2日)、POG仲間8人と朝9時に西船橋で待ち合わせ、中山競馬場へ出かけた。
 
みんなはチョクチョク行っているようだが、私的には4年ぶりの競馬場(その時も同メンバー)。2月初め、仲間の一人であり仕事の盟友でもあったRyuちゃんに「ゴンドラ室が当たりました。行けますか?」とメールで誘われ、ゴンドラ室から観戦する競馬がどんなものか興味が湧き、即「行くよ~!」と返答し“軽い腰”を上げた次第。

駅から競馬場行きのバスに乗り、着いたのは10時少し前。正面玄関近くの窓口で入室手続きを済ませ、場内のエスカレータで5階のゴンドラ室へ……部屋の雰囲気はゆったりと仕切られた会議室と言った風情で、特にゴージャス感もない殺風景な空間だったが、正面のガラス戸を開けてテラスに出ると風景は一変。頭上に広がる青い空、眼下に伸びる緑のターフが心地よく目に映え、ゴールめがけて疾走する馬たちを俯瞰で眺めることのできる魅力的な場所だった。

で、1レースから最終11レースまで約6時間、こころを遠い高原に馳せながら(?)久しぶりの競馬観戦を楽しんだのだが、思いのほか馬券が当たり、年甲斐もなく「ヨシ、来た!取った~!」と大騒ぎ(“遠い高原”は何処へ?)。用意した軍資金もほぼ倍増(と言っても驚くような額じゃないけど)……寺山が言うように「自分自身を買っている」というドラマチックな感覚を味わうことなく、上機嫌で仲間と共に競馬場を後にしたのだが、ふと思えば“人気のない馬を狙う”“ベタな良血馬は買わない”というスタンスは、その感覚に近いのかも。

というわけで、今日の〆は、1973年秋JRACMで流された寺山修司の言葉。

人はだれでも二つの人生を持つことができる。
遊びは、そのことを教えてくれる。