2012/12/31

よいお年を。


ここ数年、正月用の食材は私が大晦日に買い揃えるのが習わし。今日も単身、池袋・東武に出向き、定番の本マグロ以下、氷見の寒ぶり、明石の真だこ、新潟の銘酒「鶴齢」など、ごったがえす人の群れを掻き分け、頭の中で算盤を弾きながら、ウチにしては贅沢な品々を買い漁ってきた。(私的に、東武の地下にある『魚力』は、“品物は良いが高い”というデパ地下の生鮮品のイメージを打ち破る、味良し・活き良し・値段良し、おまけに店の人の感じも良い東京一の魚屋さん)

その間、約1時間。重い荷物を両手に提げ、やっこさん状態で帰りの電車に乗ったが、そこに蕎麦とかき揚げ、田作り、黒豆、みかんなど、地元のスーパーで買い込んだ食品が加わり“やっこさん”どころか、家に着く頃には落下する凧のようにフラフラ……これで、元気に正月を迎えられるのだろうか?と思うが、ともかく、新年を迎える準備は整った。後は今宵、美味い刺身を盛合わせ、美酒「鶴齢」の封を切り、「紅白」を見ながら安い蕎麦を食べるだけ。

というわけで、ブログ的にも今年の〆、今日の更新で108回目になった。

まったくの偶然とはいえ除夜の鐘と同じ数とは、まさに“煩悩の産物”ではないか。と、思わず苦笑してしまうが、そんな至らぬ意識の産物を読んでくださる日本と世界各国の方々に改めて感謝の念を抱きながら、あっと言う間に過ぎた2012年にサヨナラを告げようと思う。

 
明日から始まる2013年が、皆様にとって素晴しい年でありますように。

 

 

 

 

 

 

2012/12/24

メリー・クリスマス


今年も残り1週間、今夜はイヴ。ということで、二人の“ジョン”のクリスマスソングを……(エルトン・ジョンの方は、詞の内容的にも邦題通りクリスマスソングとは言い難いけれど、好きな曲なので)



Happy Xmas(War Is Over)/ジョン・レノン(&オノ・ヨーコ)





Cold As Christmas(心はさむいクリスマス/エルトン・ジョン)




2012/12/18

選挙余談「スマイル党」


衆院選の陰に隠れ、あまり盛り上がらず予想通りの結果で終わった「東京都知事選」。

かつては、本命・対抗以上に、赤尾敏(日本愛国党)、東郷健(雑民党)、内田裕也、桜金造など、“泡沫候補”とは言いながら、ユニークな発言とパフォーマンスで選挙戦を盛り上げてくれる個性的な立候補者がいたが、時代と共にそういう人が少なくなり、政見放送を見る楽しみも減ってしまった。

そんな中、ひとり異彩を放っていたのが、スーパーマンコスチュームで身を包み「目と目があったらスマイル」と呼びかける、スマイル党総裁「マック赤坂」氏。

財団法人スマイルセラピー協会会長(医学博士・社会心理学博士)らしいが、その「マニフェスト」が、選挙公報を読みながら一人で大笑いしちゃうほど、群を抜く面白さ。

例えば、東京を〈スマイル特区に〉という項目では「眉間にシワで東京都の街頭を歩いた時は東京都迷惑条例により3万円の罰金刑」、〈高齢者特区に〉では「65歳以上の高齢者に一律月2万円支給。同時に恋愛セラピー実施」、〈恋愛特区に〉では「東京都民は老若男女、恋愛を人生の喜びとする。東京都民は恋愛モテモテコースを都民割引で優先受講できる」など、想像しただけでハッピーになれそうな公約がてんこ盛り。(眉間にシワで3万円では、新都知事の猪瀬氏などいくら給料を貰っても追いつかないはず。東京の街は歩けないなあ……などと想像するのも楽しい)

で、ふざけているのかと思いきや「うつ病と自殺対策」に力を入れ、「都職員・都議会議員の人数と報酬を50%カットする。都知事の報酬はゼロ」「原発反対。五輪誘致反対。新東京銀行は民営化」と真っ当なこと(?)も書いてある。

う~ん、64歳にしてこの不思議なスマイル感覚&奇抜な発想力、只者ではない……と感心する他ないが、そこは泡沫候補ゆえの悲しさ、ユニークなマニフェストが大量の票に結び付くわけもなく、約3万8千票であえなく落選。(私も心の中で応援はしたが、一票は別の候補者へ……)

まあ、それでも本人は一向に挫けることなく、今日も「スマイル!」だろうし、その姿は、きっと来年も変わらずに拝めるはず。私も一層の「右傾化」を心配することなく、よりパワーアップした彼のパフォーマンスとマニフェストを楽しめる参院選になることを今から願っている。

選挙が終わって。


2日前の衆院選、結果は自民圧勝、民主壊滅的敗北(公明堅調、維新&みんな躍進、未来惨敗、共産埋没、社民沈没)、都知事は石原後継の猪瀬圧勝。

大方の予想通り、新旧「保守」勢力の大勝利に終わったわけだが、NHKの開票速報が始まる前は、フジテレビの「THE MANZAI 2012」を観ながら大笑いしていた私も、チャンネルを切り替えて1分後には、あまりの状況に笑いも凍り、口あんぐり……瞬時に、憲法と日教組をやり玉に挙げながら“日本の危機”を声高に煽るスローガン政治に翻弄されそうな数年間を覚悟した。

それにしても、民主が57議席とは……いくら3年半の失政に対するフラストレーションが国民の間に溜まっていたとはいえ、ちょっと“お灸”のすえ方がキツ過ぎないか? と、多少民主党に同情したくもなる(自業自得だけど)。また同時に、個性や多様性を求める私のような無党派層の選択肢が狭められることで、投票率も伸びず大政党有利となり、結果、政治全体の保守化・保身化を後押ししている小選挙区制への疑問も改めて湧いてくる。これでは「日本を取り戻す」どころか、選挙の度に時代の針を大きく戻すようなことにならないか?……2007年に在職1年で首相を辞任した安倍政権の復活を、「日本の有権者は忘れっぽいようだ」と、外国のメディアに揶揄されても仕方ない気がする。

というわけで、経済も原発も日中・日韓関係も不安と緊張が高まるだけで、まったくリベラルな風を感じない政権交代。あの顔から放たれる“危機突破内閣”という勇ましいフレーズも気色悪いし、何だかなあ……と、少し憂鬱な気分で、テレビのニュースを見る気も起きないが、これも政治への憤りと諦めの中で政権の安定を求めた国民の選択(結果的に思わぬデメリットを負うかもしれないが、それも当然、有権者それぞれの自覚と予測の範囲だと思いたい)。
自分の力が及ばない事を色々心配するより、自分が対応できることを考えるだけと気持ちを切り替え、来年の参院選へ見据えながら新政権の動向を注視するのみ。さて、どんな4年間になりますやら。

2012/12/13

後味良し!『人生の特等席』


お酒はぬるめの燗がいい。肴はあぶったイカでいい。映画はイーストウッドが演ればいい……

名作『グラン・トリノ』から3年半、クリント・イーストウッドが役者としてスクリーンに戻ってきた。もう、それだけで十分に嬉しいのだが、期待に違わぬ“渋い老いぼれ”ぶりを存分に見せつけてくれるのだからファンとしては堪らない。

その役柄は、メジャー・リーグ、アトランタ・ブレーブスの老スカウト「ガス」。長きに渡り新戦力を発掘し球団を支えてきた“伝説的スカウトマン”だが、視力は衰える一方、データ野球に不可欠のパソコンもダメ。その上、性格は頑固一徹、独自の嗅覚と経験に頼るやり方を変えない……必然、時流に合わず引退勧告も迫っているが、ガス自身は仕事への自負・意欲に揺るぎなし。そして、球団の命運と己のキャリアを賭けた勝負の場、ドラフト会議の目玉とされる高校生スラッガーの実力を見極めるため、ノースキャロライナに向かう。但し、その見立てが外れたら、間違いなく解雇。彼の身を案じた球団幹部の親友ピートは、長年、父ガスとの確執を抱え都会で暮らしていた敏腕弁護士の娘ミッキー(エイミー・アダムス)に“視察旅行”への同行を懇願する。初めは拒んでいた彼女だが、仕事上の岐路に立ちながらも疎遠だった父の後を追う……果たして、ガスは仕事を成功裏に収めることができるのか、父娘の関係修復は可能なのか。

という、アメリカの野球文化を背景にした、複雑な捻りのないヒューマン・ストーリー。何か深いテーマや格別な感動を求めて観に行く人には申し訳ないくらい、想定内の展開&お約束通りのハッピーエンドが待っているベタなハリウッド映画なのだが、イーストウッドがいるだけで「名作」に思えてくるから不思議。突っ込みどころも多々ある幾分ご都合主義的な作りでも、最後まで飽きずに楽しめ、絶品の後味で家路につくことができるのは、映画を知り尽くした名優のお陰と感謝するほかない。(特に、亡き妻の墓前で口ずさむ「ユー・アー・マイ・サンシャイン」には、ゾクッと痺れた)

普通はスターの老いた姿を見るのは辛いものだが、ことイーストウッドに限っては、どんなに皺が増え、頬が弛み、小便が出にくかろうが(映画のワンシーン)、その漂う気配が突き抜けて魅力的なので、辛いどころか「シブい!」と惚れ直すだけ。既に御年82歳だが、監督業もさることながら、命ある限り、その老いの渋味をスクリーン上で見せてほしいと思う。

映画の原題は"Trouble with the Curve"「カーブに難がある」。ストーリーと直接的に絡むタイトルだが、「人生の曲がり角における困難」という意味も含まれているらしい。なるほど、なるほど……で、父も娘も曲がったことが大嫌い、だからこそのストレート勝負ということか。

2012/12/07

冬のラジオCM制作


昨日(6日)は、制作を手掛けたラジオCMの収録立会いのため、有楽町「ニッポン放送」本社へ。

午後2時半に広告代理店の営業部長・仁さんと1階フロアで落ち合い、局の担当営業の方と顔合わせ&打合せの後、クライアント共々スタジオへ向かった。(クライアントの「マイコール」からは、社長以下3名の方が参加)

収録時間は1500153030分!)……その短さが気になっていたが、スタジオ入りの瞬間に不安解消。テスト中にも関わらず臨場感溢れる美声が響き渡る室内で、二人の声優の方(男女)がイメージ通りに読み合わせを行っていた。ゆえに本番中も私が注文をつけたのは微妙な節回しのみ。クライアントの満足度合いを確かめながら、20分程度でOKを出し、仁さんと目を合わせ安堵の一息。私にとって10年ぶりのCM録りは、局の方の案内による“新設スタジオ見学”という余裕のオマケまでついて無事終了した。

局を出てからは仁さんと二人、有楽町・交通会館内の喫茶店で(今どき全席喫煙というある意味、感動的な店)、別件の仕事&サッカーの話をしながら軽く30分。
その後、彼は会社、私は池袋……西武「リブロ」で、天童荒太の新作『歓喜の仔』を購入した後、友人が社長を務めている会社のホームページ制作の打合せを兼ねた飲み会の席、西口「高田屋」へ。その友人を含め親しい仲間4人の飲み会だったが、CM録りの満足感も手伝い、楽しさ倍増。心地よい夜になった。

で、今日早速、仁さんと私のもとにクライアントから「(CM素材を)事務所のみんなで聴いてクスクス……良いCMができて嬉しい」との、ホットな労いメール。もちろん、喜んで頂いて私も嬉しい。

というわけで、「できるだけ社名・商品名を多く入れて覚えてもらえるように」というクライアントの要望および時節を踏まえて作った20CM2本をご紹介。(商品は冬の定番「カイロ」、商品名は「オンパックス」)

 
①「石焼芋」編

男の声:(石焼芋屋さんのスピーカーから流れる声の感じで)

カイロ、カイロ、カイロ~♪

 
カイロひとすじ108年、

マイコールのオンパックスはいかがですか?

あったまるよ~

冬の寒さと健康に、マイコールのカイロは、いかがですか?

 
オンパックス、オンパックス、オンパックス~♪

 
N:冬のポカポカ、カイロは「オンパックス」

 

②「選挙カー」編

ウグイス嬢:

オンパックス、オンパックス

マイコールのカイロ「オンパックス」です。

 
今日も皆様のカラダを温めるため、

オンパックスは、全力で頑張っております。

 
「国民の寒さ対策が第一」

創業108年マイコールのオンパックスに、

ぜひ温かい一票を!

 
N:選んでポカポカ、カイロは「オンパックス」

 
CM放送局はニッポン放送、TBSラジオ、文化放送。オンエア期間は1217日~118日(12月は「選挙カー」編、1月は「石焼芋」編を中心に、午前中に集中して流す予定)。

 

2012/12/05

『世界から猫が消えたなら』


3週間ほど前、池袋西武の「リブロ」で購入。何気に新刊コーナーの書棚を見ていたら、そのタイトルが目に入り“ムムッ?!”と思わず反射的に手を伸ばした本だ。(恐らく2か月前なら、こういうタイトルの本に食指が動くことはなかったはずだが……)

その著者の名は「川村元気」。『電車男』『悪人』『告白』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』などを製作した33歳の映画プロデューサーで、本書が処女作らしい。(映画のヒットメーカーにして小説家……また、瑞々しい才能の誕生!)

主人公は重度の脳腫瘍に侵され、医者に死を宣告された30歳の郵便配達員(猫と暮らす映画好きの男……私に「さあ、読め!」と言わんばかりの、どストライクな設定)。その男の前に突然、派手なアロハを着た明るい悪魔がやってきて「実は……明日あなたは死にます」と、天からの指令を伝える。さらに悪魔は、絶望する男に“寿命を延ばす唯一の方法がある”と告げ、意想外の取引を持ちかける。それは、1日の命を得るために「この世界からひとつだけ何かを消す」こと。
こうして男の周りから、携帯、映画、時間など“失って気づく大切なもの”が次々に消えていく。そして最後(7日目)に残った取引の対象は、キャベツと言う名の愛する猫……

という奇想天外でファンタジックなストーリーだが、帯にも「「泣けて泣けて仕方ない……この小説はまるで聖書じゃないか!」という映画監督・大根仁のコメントが紹介されているように、巧みなユーモア&軽妙な筆致に釣られて油断していると、不意に心を揺さぶられ涙腺の決壊を余儀なくされるのでご用心。

本を開く前は「感動的、人生哲学エンタテインメント」というキャッチフレーズを見て、「ホントかな?」と少し疑ったが、そのフレーズどおり、ネット社会で生きる私たちにライトな感覚で“身近に存在する大切なもの”を改めて思い起こさせてくれる切なく深い一冊。私も同じ屋根の下で生きる猫のことなどを想いつつ読ませてもらった。(ちなみに帯には、女優・中谷美紀の「読み終わった後、大切な人に逢いに行きたくなりました」という、ありがちなコメントも……まあ、どうでもいいけど)

以下、特に心に残った後半の数節をご紹介。(これから読む人には余計なお世話でしょうが)

《「人間と猫はもう1万年も一緒に生きてきたのよ。それでね、猫とずっと一緒にいると、人間が猫を飼っているわけじゃなくて、猫が人間のそばにいてくれてるだけなんだっていうことが、だんだん分かってくるのよ」かつて母さんが言っていた言葉を思い出す》
《そもそも死の概念があるのは人間だけだという。猫には、死に対する恐怖というものが存在しない。だから人間は、死への恐怖や悲しみを一方的に抱きつつ、猫を飼う。やがて猫は自分より先に死に、その死が途方もない悲しみをもたらすことが分かっているのに。そしてその悲しみは不可避なこととして、いつの日か必ず訪れると知っているのに。それでも人間は猫を飼うのだ。
しかしながら人間も、自分で自分の死を悲しむことはできない。死は自分の周りにしか存在しない。本質的には猫の死も人の死も同じなのだ。そう考えると、人間がなぜ猫を飼うのか分かってきた気がする。人間は自分が知りえない、自分の姿、自分の未来、そして自分の死を知るために猫と一緒にいるのではないか。母さんの言うとおりだ。猫が人間を必要としているのではない。人間が猫を必要としているのだ》

《「明日死ぬかもしれないと思う人間は、限られている時間を目いっぱい生きるんだ」かつて、そう言った人がいた。でもそれは嘘だと僕は思う。人は自分の死を自覚したときから、生きる希望と死への折り合いをゆるやかにつけていくだけなんだ。無数の些細な後悔や、叶えられなかった夢を思い出しながら。でも世界から何かを消す権利を得た僕は、その後悔こそが美しいと思える。それこそが僕が生きてきた証だからだ》

2012/11/30

「右翼」の卓見


29年ぶりの師走選挙……どこを向いてもいずれ変わらぬ「保守」ばかりで、投票意欲すら失いかけていたが、嘉田知事による「日本未来の党」結成で多少色合い的に変化がついたかも?と、それなりに興味は湧いてきた。でも個人的には「この党に!」という決定打は未だなし。まあ、間違っても「国防軍」などと、お坊ちゃま面で強弁するような人(党)に入れることはないけど。

さて、そんな寂しい?選挙戦が始まる前、先週木曜日(22日)の朝刊に、右翼団体「一水会」の顧問でありながら「右翼というのは社会の少数派として存在するから意味があるのであって、全体がそうなってしまうのはまずい。国家が思想を持つとロクなことにならないんですよ。必ず押し付けが始まりますから」と、安倍晋三の自民党、石原慎太郎、橋下徹の新党が勢いづいている日本の現状を憂える「鈴木邦男」のインタビュー記事が載っていた。

鈴木邦男と言えば、左翼運動が華やかりし頃(6070年代)、「行動右翼」と呼ばれる過激な活動で名を馳せたばかりでなく、元赤軍派議長・塩見孝也やアナキストのルポライター・竹中労(故人)とも思想的立場を超えて交流していた個性的な論客。私もその名前だけはメディアを通じてよく知っている。

その鈴木氏の口から「いま右翼的な主張をしている人は、天敵がいなくなった動物みたいなものです。威張るし増殖するし。このままでは生態系が破壊されてしまうのではないかと心配です」「僕は日の丸も君が代も大事だと思っています。だからこそ、やたらに振ったりヘタに歌ったりしたくない。難しい歌だから、合唱すると絶対に合わないんです。それは君が代に失礼だと思うから、口だけ開けて歌わないこともよくあります。大阪府の教員だったら処分されているかもしれません」「自民と民主もほとんど違いがない。だったら政党なんていらないんじゃないでしょうか。小学校のクラスのようなものにとどめておいて、党議拘束をやめ、政策判断は個々の議員に委ねてしまった方がいい。もっと個人単位で政治をやるべきだし、国民も政党ではなく人を選ぶべきだと思います」

という言葉が発せられるのだから、現在の政治状況の危うさが分かるというもの。彼が言うところの“いい敵”、かつてあれだけ日本に溢れていた「左翼の論客&活動家」は、一体何処へ消えてしまったのか?と、鈴木氏ならずとも不毛な党首討論を聞きながら首を傾げたくなる。

 で、こんな質問に対する答えが「なるほど」と唸るもの。

 ――左翼はどうしてこんなにしぼんでしまったのでしょうか。

「ソ連の崩壊とかいろいろあるでしょうが、突き詰めると、人間への期待値が高すぎるんじゃないでしょうか。連合赤軍が好例です。思想的に100%にならないと認めない。殺しちゃおうなんて、右翼だったらありえませんよ。もったいないじゃないですか。どうせ人間なんて大したことないんだから100%にしようなんて思わずに、10%でも5%でも使えるところで使えばいいんです。期待値が低いから右翼はあたたかい。それで人が集まってくる。まあ10%の人間ばかり集まっても……という問題は別にありますが」

私自身は過去も現在も「左翼」だとは思っていないが、「左寄り」の時代に青春を送った一人として、至極簡単な言葉で難問が解かれた気分。確かに、連合赤軍だけでなく、昔の新左翼の党派や活動家には鈴木氏が指摘するような面があったと思う。
理論・討論で勝るものが“革命的”、より過激な行動を提唱するものが“先駆的”、そして自分の存在を“左翼的無双”にするための「自己否定」「総括」など……「労働者・人民」の生活実態を知らず、「革命」のイメージも掴めず、思想的“高偏差値”を求めて人も己も否定しあう世界、そんな所に大らかさも温かさも生まれるわけがない。自然に衰退していくのも道理。

 さらに鈴木氏は、安倍自民党や維新が主張する「憲法改正」についてこう語る。
 
「憲法という大きなものに責任を転嫁して、山積している現実の課題をなかなか片づけられないことに国民の目がいかないようにしている感じがします。これでは、尖閣や竹島の問題を、国内政治に対する不満のはけ口として利用した中国や韓国を笑えませんよね」
「今の雰囲気に乗じて(憲法を)変えてしまうと、アメリカの戦争に全部協力して自衛隊がどこにでも出て行っちゃうような憲法になりかねません。憲法は本来、政治家を縛るためのものなのに、政治家が国民を縛る憲法になってしまう危険もある。自由のない自主憲法よりは、自由のある占領憲法の方がまだいいし、アメリカから押し付けられた憲法を変えようと頑張った結果、よりアメリカに従属するなんて笑えない冗談です」

う~ん、右・左に関わらず、ナットクの卓見。この人は本当に「右翼」なのだろうか?と、新たな疑問が湧いてくるが、まあ、そんな詮索はさておき、鈴木氏の発言に敬意を表して、“政党より人”を選ぶ選挙にしたいと思う。(基本、それも難しいことですが)

2012/11/24

書きそびれた映画たち②


昨夜(9時~)、J:COMで映画『ショーシャンクの空に』(監督フランク・ダラボン/1994年製作)をやっていた。『ゴッド・ファーザー』や『仁義なき戦い』同様、何度もテレビやDVDで観直している大好きな作品だが、またもや飽きずに2時間半。ティム・ロビンスとモーガン・フリーマンの演技に目を凝らしながら、どっぷり浸り珠玉のラストで胸がジーン……「最後の晩餐」ならぬ「最後のシネマ」があるのなら、この映画かなあ、と改めて思った。

さて、本題。

●『かぞくのくに』(監督ヤン・ヨンヒ)

ロンドンオリンピックで日本中が盛り上がっている最中、日夜テレビから流れる「感動をありがとう」「勇気を貰いました」等の言葉の過剰な放列に食傷気味になり、異質の感動を求めて観に行った映画。
在日コリアン2世の監督による“家族の実話”に基づいたフィクションということでテーマも現在的だし、主演の二人も魅力的(安藤サクラと井浦新)……ということで期待が膨らみ、勝手に感動のハードルを上げたせいで、正直、観終った後は「それほどでも」と思ったが、南北分断の悲劇と国家の非情さがひしひしと伝わる佳作であることは間違いない。特に1959年から始まった“帰国事業”により、16歳で家族と別れて北朝鮮に渡った長男ソンホ役の井浦新の演技が秀逸。病気療養のため25年ぶりに帰った日本での仲間との再会の席、そして再び北朝鮮に戻る途上の車中で口ずさむ「白いブランコ」の旋律が、彼の言い知れぬ悲しみとともに深く胸に残った。


●『ライク・サムワン・イン・ラブ』(監督アッバス・キアロスタミ)

イランの巨匠キアロスタミが、日本の俳優を使い全編日本で撮影・製作した映画。だが、キアロスタミ自身が「私の映画は始まりがなく、終わりもない」と語ったように、途切れなく続く人生というドラマの一部分を描いたこの作品は、唐突に始まり突然終わる微妙に厄介なもの……観客主体で分かりやすい日本映画とは、演出手法も映像感覚もまったく違うので、邦画を観るつもりで気楽に接すると狐につままれたような気分になるはず。
私も、不透明なテーマ(“老いの孤独とロマンティシズム”?)、不鮮明なストーリーに首を傾げつつ、ただ素晴らしいカメラワークに誘われ、日本仕様でありながら異国の街のドキュメンタリーを淡々と観ているような不思議な気分にさせられた。で、ラストは呆然としてスクリーンの前に置き去り状態……思いがけぬ貴重な映像体験になったが、もう一度味わいたいかと聞かれたら、NON。やはりこういうパリの路地裏辺りのミニ・シアターが似合いそうな哲学的な映画は、日本人キャストで撮らない方が良かったのでは?と思ってしまった。

 
●『僕達急行 A列車で行こう』(監督・森田芳光)

去年の12月にこの世を去った映画監督・森田芳光の遺作。喜劇、時代劇、恋愛映画、アイドル映画、ホラー、ミステリー、文芸作品……と、幅広いテーマを見事に撮り捌くセンスと才能溢れる監督だったが(個人的に好きなのは『の・ようなもの』と松田優作主演の2本『家族ゲーム』と『それから』)、この『僕達急行』も彼の豊かな遊び心とユーモアが散りばめられた楽しい作品。
内容は、鉄道好きの二人(松山ケンイチと瑛太)の恋と友情と仕事を軸に展開される“オタク的青春コメディ”と言った感じだが、頭の中で松ケンの役を今は亡き名優「小林桂樹」に代えてみると、昔懐かしい東宝の“社長シリーズ”になりそうな昭和っぽいテイストもある。二人の何とも“ゆるい”雰囲気が心地良く、自然に笑みがこぼれる2時間だった。(DVD鑑賞)

 
以上、「書きそびれた映画たち」終了。

 

2012/11/23

書きそびれた映画たち①


世間では今日から3連休。でも生憎の冷たい雨……いつものように学校へ急ぐ子どもたちの声も聞こえない静かな朝だ。

 置物のように窓辺に座り、風景と流れ落ちる雨のしずくを交互に見ている飼い猫を尻目に、朝メシを食べながら別窓から外を眺めていたら、猫道にもなっているウチの自転車置き場の脇を何かが通り過ぎようとしていた。「おっ、猫だ」と頬が緩みかけたが、鼻先が白く尖って伸びており、尾も太くて長い。“あれっ、猫じゃない!?”と、見知らぬ生き物に一瞬緊張したが、じゃあ、なんだ?と冷静になった途端、以前ツレが夜中に目撃したという動物の名前を思い出した……「ハクビシン(白鼻芯)」。東京にも数多く生息していることは知っていたが、こんな身近で目にするとは思わなかった。

これはひょっとして吉兆の前触れ?……とりあえず、年末ジャンボは買っておいた方がよさそうだ。

さて、本題「書きそびれた映画たち」(ソコソコ良かったのに、何も書かないまま時が経ってしまった映画)。その感想を手短に。

 ●『ミッドナイト・イン・パリ』(監督ウディ・アレン)
ファンタジック・コメディとでも言うのだろうか。スコット・フィッツジェラルドにはじまり、ヘミングウェイ、ピカソ、ダリ、マン・レイ、ルイス・ブニュエル、T.S.エリオットなどなど、綺羅星のごとき作家、詩人、アーティストが時空を超えて真夜中のパリに集う“夢想の世界”は、ウディ・アレンらしいウィットに富んだ会話でコラージュされ、笑いどころ&見所満載。
あまり難しく考えずに小粋な会話劇を味わうつもりで観れば、肩も張らずに十分に楽しめる映画(マリオン・コティアールも美しい)。ただ、アレンの風刺&皮肉は苦手、ピカソもダリも興味なしというような人は、観ない方が賢明……映画終了後、席の近くにいたご婦人二人が「難しい映画だったわね~」「そうそう、出てくる人たちがよく分からないものね~」と話しているのを小耳に挟んだので。

ちなみにウディ・アレンの新作は121日封切の『恋のロンドン狂騒曲』。キャスティングは魅力的だが“ラブコメ”ということで、微妙に居心地が悪くなりそうな“危ない笑い”の予感。他に観たい映画もあるし(『人生の特等席』!)今のところ避ける方向で……。

以上、第一弾。次回は、『かぞくのくに』、『ライク・サムワン・イン・ラブ』、『僕達急行 A列車で行こう』をまとめて。

 

2012/11/19

タイトル以上に、深い余韻。


急に寒くなったせいか、鍋が恋しくなってきた……共に久しく鍋を囲んでいない“思秋期”の友たちは皆、元気だろうか。

さて、先週の月曜(12日)に新宿武蔵野館で観たイギリス映画『思秋期』。

原題は『TYRANNOSAUR』、日本語に訳すと『ティラノサウルス』……映画を観れば、ガジェットとして合点が行くのだが、流石にそのタイトルでは、パニック映画?と誤解されそうで客足に響く(特に中高年の)。で、中年期の諦念的な感情をイメージさせる≪思秋期≫となったと思うが、これもどうだろう。確かに人生の折り返し地点に立つ男女の揺れる心を描いている作品だが、包括的過ぎてかなりダーク&ヘビーな内容とのイメージ落差に驚かされるのでは?

 と、昔流行った岩崎宏美の同名曲の「はらはら涙あふれる、わたし18……」という歌詞の一節を思い出しながら(思秋期って、幾つよ?)、矢鱈にタイトルが気になった映画ではあったが、作品自体はなかなかのもの。

 仕事も家族も失くし、行き場のない焦燥感に駆られ酒を呷り、その度に理由もなく湧き出る怒りを抑えきれず暴力を振い、周囲との孤立を深めていく中年男ジョセフ。そして、ふとしたきっかけで彼と出会い、その荒んだ魂を鎮めようと自分が抱える心の闇を隠して優しく慰める中流階級の女性ハンナ……異なる世界で生きる二人が、互いに癒し支えあいながらも、抗いきれず辿る運命の痛々しさ。その悲劇的な展開を二人の秀逸な演技と見事な心情表出で描き切った作品。静かに癒され、じんわりと解放感に包まれるラスト、そして音楽センスもグッド。心に沁みるブルースを聴いた後のような熱くほろ苦い余韻が残った。

 ところで最近、映画の中の男ほどではないが、些細な事でキレる中高年(男女)の姿を街や電車の中で見かけることが度々ある。その時は、何故そんなに苛立っているのか自分でも説明つかないのだろうなあ……と、少し痛く哀れな気持ちになるが、他人事ではない。私とて寄る年波の寂しさはあるし、仕事も金もなく、友も家族も猫も(ん?)いなければ、心の空洞を埋める術なく日常的にキレまくっている気がする(もともと血の気は多いし)。やはり、幾つになっても打ち込めるモノが欲しいし、誰でも一人は辛いのだ。

 とは言え、男女を問わずキレそうな人には近づきたくないし、「ハンナ」のようにキレてる人を優しく慰めることもできない。ただ、自分の態度や言動に気をつけて“キレる”を防ぐことはできる。特に映画館や電車内でのマナーに関して注意する時などは、つとめて穏やかに丁寧に声をかけたいと思う……少し話が脱線してしまったが、忘年会シーズンを間近に控え、酒の入る日も多くなる時期、ご同輩の皆様も、ご注意あれ。

2012/11/15

ブラジル行きに王手!


「今日は、引き分けで十分。守り切って終わってくれ~」と祈っていた後半44分、酒井高徳のクロスに、タイミングよく飛び込んだ遠藤が忍者のごとく合わせ(女子W杯決勝の沢のゴールを思い出した)、ラストは岡崎が決めた。

 異様な雰囲気のアウェー、しかも気温35℃という暑さの中、生命線である運動量を失いながらも(特に、今まで見たことがないほど、本田の動きは悪かった)、こういう厳しいゲームを勝ちきるのは、日本代表に底力がついた証拠。キッチリ勝ち点3をもぎ取り、ブラジルW杯出場に王手をかけたのだから大したもの、と素直に讃えたい。

で、ゲーム以上に興味深かったのが、冴えわたるザック采配……

 1:0の後半19分、FW前田を下げて、DF酒井高徳を投入。「えっ、追加点を狙わず、早くも守りを固めるの?」と思いきや、本田が1トップ気味に前へ。さらに長友が2列目左に上がり、右に岡崎、トップ下・清武という布陣(SBに酒井高徳)

ピッチ上に、純粋なFWが存在せず、サイドバックが3人いる(長友&W酒井)という見慣れない構成だが、突破力に優れた長友を前に置くことで右の岡崎と共に、前線の運動量を担保する“走る両翼(サイドハーフ)”が結成され、交代時の「守備的イメージ」がキレイに払拭、むしろ新鮮で攻撃にも十分期待が持てたのだから不思議(試合後、ザックは「左サイドを酒井高徳と長友で制圧したかった」と語っていた)。

さらに、追いつかれた後の後半39分、精力的に動いていた清武を下げ、守備固めのボランチ・細貝を投入。ボランチの一翼、遠藤がトップ下に入り「これはもう、引き分けで終わろうということだろうなあ」と思った途端、あのゴール……

 こうなると、もはや魔術の域。後から投入した選手&ポジションを変えた選手がしっかり点に絡んでいるのだから、“すげえ~”と唸るほかなし。

相手の流れになりそうなゲームを、大胆な軌道修正によって立て直す手腕、選手の能力とポテンシャルを信頼し、そのモチベーションを最大限に高めようとする的確なコーチング。そして厳しい局面に合っても、打つ手によって最良の結果を呼び込める“勝負運”。そのすべてを合わせた見事な采配ぶりは、これまでの代表監督に感じたことのなかったもの(オシムは除く)。この敬愛すべきイタリア人監督は、日本代表をどんな高みに連れて行ってくれるのだろう。ますます2014年が楽しみになってきた。

 

2012/11/09

HAPPY……かな?


今日は、60回目の誕生日。ミスター長嶋風に言うと「初めての還暦」を迎えたわけだが、他人事のようで全く実感なし。(まあ、肉体的な衰えは日々感じておりますが……)

昨夜は、前夜祭ということで、DVDで『少年と自転車』(監督はベルギーのダルデンヌ兄弟……ちょっと切ないフランス映画)を観た後、家人とワイン(ボルドー)で乾杯。

今朝は、友人のMiyukiさんとウエちゃんからメールで、こんなゴージャスなプレゼント。







2012/11/08

蓮池薫さんの筆力


北朝鮮による拉致被害者5人が帰国して早10年、今でも彼らが飛行機のタラップを降りる瞬間の映像を鮮明に記憶しているが、その一人である蓮池薫さんが北朝鮮での24年間の歳月を綴った手記を出した。タイトルは『拉致と決断』……

で、一気読みしたその感想だが「面白い!」の一言。過酷な運命と重い事実が綴られた手記を「面白い」などと言っては少し不謹慎なのかもしれないが、素直にそう思える優れたドキュメント作品だと思う。

≪本書では拉致被害者としての自分の生活や思いだけでなく、北朝鮮の人たち、すなわち招待所生活で接した人たちや平壌市内で目的した市民たち、旅先で目の当りにした地方の人たちなどについても叙述した。それには、北朝鮮社会の描写なくしては、私たちの置かれた立場をリアルに描けないという理由とともに、決して楽に暮らしているとは言えないかの地の民衆について、日本の多くの人たちに知ってほしいという気持ちもあった。彼らは私たちの敵でもなく、憎悪の対象でもない。問題は拉致を指令し、それを実行した人たちにある。それをしっかり区別することは、今後の拉致問題解決や日朝関係にも必要なことと考える。≫

と、前書きに書かれているように、自分の心情はもちろん、北朝鮮で生きる人々の姿を、時にユーモアを交え小説や映画のワンシーンのように描き出す絶妙な筆致は、読み手を飽きさせない優れたプロの技。

ページをめくる手を止めさせないほどの描写力とでも言おうか……自らの運命と冷静に向き合い、失われた絆と夢を取り戻すために生きようとする真摯な魂に触れながら、社会主義の理想から遠のくばかりの社会主義国家「北朝鮮」のジレンマ、その喘ぎさえページの端々から漏れ聞こえてくるようだった。その意味で本書は、戦争が日常に組み込まれている国家を知らない私たちにとって、格好の「北朝鮮入門書」とも言えるはず。

そして、読み終えた後、こんな一節に共感を抱きながら、その誠実な生き方と切実な願いが見事に結実するよう心から思うのだ。

 ≪二十四年ぶりに帰ってきた日本は、「自分らしく生きよう」、「個性的に生きよう」とする傾向や志向がますます強くなっていた。
(中略)
しかし、いくら自由になったといって私や子供たちが、趣味にだけ傾倒して生きていくわけにはいかなかった。
自由は人生の目的を達成するのに必要な条件なのであって、自由自体が人生の目的にはなり得ない、私はそう思った。
では、私にとって人生の目的とは何だろう?
自分の可能性を見出し、それを生かした人生を歩むことだった。それが青春時代に途切れた夢をつなぐ、新たな人生の夢だった。
では、24年間北朝鮮によって拉致されていた私にある可能性とは? いくら考えても朝鮮語しかなかった。自ら進んで身につけたものではないにしろ、今となっては、自分らしい生き方をするための唯一の武器だったのだ。私は韓国語教師と翻訳家の道に進んだ。そしてこの道が将来、「自分らしさ」を超え、私たちの運命を弄んだ東アジア情勢の緊張緩和や各国の友好に少しでも資するものになればという願いも持っている。≫