2017/12/11

雑感・北朝鮮戦(&明日からホーチミン)




9日(土)夜はサッカー三昧。
(日本代表VS北朝鮮の後は、BS日テレでクラブW2017「パチューカVSヴィダード・カサブランカ」を観戦。「浦和レッズVS アルジャジーラ」は試合開始が深夜1時半のため録画を録って観ることに……翌朝、ニュースで結果を知り観る気がなくなった)

国内組のアピールの場となる北朝鮮戦はもちろんのこと、本田が所属するパチューカ(メキシコ)の試合も見逃せず、久しぶりの夜更かしになってしまった。

で、北朝鮮の結果は周知の通り、井手口の素晴らしいゴールで1:0勝利。(こういう何も起きずに終わりそうな状況の中でゴールを決められるのが、トップレベルになる選手であることの証。
これで井手口の代表定着は確実になったと思う)

但し、勝つには勝ったが、内容的にはお寒い限り。ムダにパスを回すだけでチャンスらしいチャンスも作れず(横パス多すぎ!)、守備の連係も噛み合わず、北朝鮮にいくつも決定的なチャンスをつくられ主導権を握られていた感じ。GK中村航輔の素晴らしいセーブがなければ惨敗していた気さえする。

必然、井手口と中村を除いて全員平均点(もしくはそれ以下)といった感じで、目を引くプレーもなければ印象に残った選手もいない。(途中出場の伊東純也は、ドリブルが切れてスピードもあり、試合の流れを変える上で面白い選手だと思ったが、そういうタイプは乾や浅野など既に代表にいるので、W杯となると……)

というわけで、個人的に注目していたFW金崎(鹿島)、小林悠(川崎フロンターレ)も期待外れ。宏樹、高徳の両酒井と長友の3人に匹敵するようなサイドバックも見当たらず、この試合での収穫はゼロに等しいものだった。

唯一、良かったと思うのは、試合前の記者会見でのハリル監督のコメント。

北朝鮮と対戦するにあたって、フランス人の記者から政治的なことを聞く質問が出たらしく、その問いを避け答えを止めようとする日本代表の広報を制して、ハリル監督は「サッカーに政治はいらない。私はサッカーで友情や親愛を伝えたい」とはっきりとした答えで返したそうだ。

サッカーの記者会見で政治的な質問をするのはナンセンスなことだが、そんな質問にも「ノーコメント」で逃げるのではなく、ポジティブな言葉で自分の考えを伝えるのはとても重要なこと。サッカーを愛する人はもちろん、その言葉によって勇気づけられる人や、幸せな気分になれる人が世界中にたくさんいるのだから。(オシムさんや浦和の元監督ペトロヴィッチなど、東ヨーロッパから日本に来る選手や監督も同様の主旨のコメントをすることが多いが、ユーゴスラビア紛争の経験を通して誰よりも政治とスポーツの関係や、スポーツの社会的な意味を分かっているからだと思う)

ハリルが指揮官として本当に優れているか、日本代表の監督で良かったか否かは、ロシアW杯後に答えがでるだろうが、サッカーに対する愛情の深さと、パーソナリティの強さは疑いようもないこと。ぜひ、来年も多くの人たちがハッピーになれる結果とメッセージを残してほしい。

さて、最近にはないハイペース(?)でブログを更新してきたが、今週はこれで打ち止め。
明日の夜から16日の朝までは、ベトナム「ホーチミン」にいます。(友人たちと5日間の旅行ツアー。成田出発1430分)

2017/12/09

「闘い疲れ」に効く瞑想?(&決まった!大谷!)




白鵬より、貴乃花親方より、大谷翔平が気になる今日この頃……

現代プロ野球では常識的に不可能な投打の二刀流(ツーウェイ)。しかも、それをメジャーでやろうと言うのだから、遠い昔の野球少年としては「ぜひ、そのチャレンジを見届けたい!」と久しぶりに期待で胸が高鳴るのは当たり前。球団のネームバリューやマーケットの大きさには目もくれず、あくまで「自分のゴールに到達するのにベストな環境」を見極めて着実に夢の階段を上がろうとしている大谷君が、一体どこの球団を選ぶのだろう……とワクワクしながら待っていたら、今朝、その球団がロサンゼルス近郊のアナハイムに本拠内を置く「エンジェルス」に決まった!との速報あり。

エンジェルスがどんな球団かは詳しく知らないが、二刀流に対する不安を解消すべく綿密な育成・起用プランを提示したのは確実。私も早速、田中マー君の居るヤンキースから、エンジェルス・ファンへの転向を決めた。(とにかく来年以降がすごく楽しみだが、今はただ、その大きな夢と類まれな才能の開花を祈るのみ。焦るなよ~、ケガするなよ~)

さて、トランプが「エルサレム」をイスラエルの首都に認定した矢先、政治や社会の様々な問題も気になるが、年末くらいは日頃の憤りや嘆きを抑えて、大谷君のチャレンジのような夢のある話や好きな映画やサッカーの話題でブログを埋めたいと思っているが、日夜ツイッターで“闘い”続けている映画監督の想田和弘氏も似たような気分らしく、「マガジン9」(ウェブマガジン)でこんなことを言っている。

《自分のコラムを振り返ってみると、そのほとんどは政治に関するもので、世の中の現象や出来事に対する批判や危機感に満ちている。ツイッターやフェイスブックの投稿を振り返ってみても同様だ。
祖国である日本でも、生活の場であるアメリカでも、デモクラシーが危機的状況にあることを考えれば、半ばしかたがないことではある。書かざるをえない理由がある。
しかし、驚き呆れるようなニュースに毎日反応し続け、批判ばかりしていると、心身ともに疲れてくるのも事実だ。僕は怒りに火がつかないように気をつけているし、ついてもすぐに消火するように心がけているけれども、それでもやはり怒りは生じていて、知らない間に心身を焦がしているのだと思う。
マガジン9の読者には、僕と似たような状況の人も多いのではないだろうか。
だから年末くらいは政治や社会への批判はお休みにして、今回は日頃の“闘い疲れ”に手当てをし、傷を癒す方法について書いてみたい》

……で、彼自身は“闘い疲れ”を癒すために1年半くらい前から「観察瞑想(ヴィパッサナー瞑想)」という“ブッダが悟りを開いた究極の瞑想法”を毎日30分ほどやり続けているらしく、最近はそれに加えて「慈悲の瞑想」というのも始めたとのことで、それを読者に紹介している。

《これもブッダの教えに基づく古い瞑想法だが、別に宗教色があるわけではない。そして簡単だ。具体的には、次の言葉を心をこめて唱える。口に出してもいいし、心の中で唱えてもよい》そうだ。

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように 
私は幸せでありますように(3回くり返す)
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回くり返す)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回くり返す)

これを毎日15分~30分くらい行うのが基本。でもそこまで長く唱えなくても、念じはじめた瞬間から心が落ち着いてくる(そうだ)。

そうかなあ?と微妙に疑いながら、試しに1回やってみた……

なるほど、悪くない気分だが、想田さんのように“闘い疲れ”が残るほど日夜闘い続けているわけでもなく、日頃から拝んだり念じたりするのが苦手でその習慣もない自分には、少しくすぐったい感じもする。

さらに彼が言うには、この瞑想に慣れたら、次のオプションがあるそうで……それは11回唱えるだけで十分とのこと。

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
私の嫌いな人々も幸せでありますように (3回くり返す)
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように (3回くり返す)

う~ん、これはどう考えても俺には無理だよなあ……と思いながら、試しにまた薄目をあけて唱えてみた。

が、意外や意外。嫌いな人々・嫌っている人々と何度か唱えているうちに、嫌いな人々の顔がまったく浮かばなくなり、想田さんが言うように《自分や他者を慈しむ心が、自分の中にもちゃんとあるのだということ》が多少なりとも気づかされたせいだろうか、妙に心が落ち着き、ふんわりと穏やかな気分になれる不思議。

そのコラムの最後、彼はこう結んでいる。
《思えば、僕が政治や社会のあり方に危機感を抱き、批判を続けているのも、「自分も、親しい人も、知らない人も、動物も、植物も、みんなが幸福でいられたらよいのに」と願うからではなかったか。ところが批判を続けていると、いつのまにか「怒り」に火がついてしまって、誰かを敵対視してしまうようになる。本当はそういう「敵」も含めたみんなが幸福でいられる世の中を目指したいのに、そのことをついうっかりと忘れてしまう》

このご時世、私にさえも、“闘い疲れ”を癒し、爆発しそうな怒りを抑えるために、この瞑想を唱えずにはいられない日が幾度も来るのかもしれないが、とても今は「嫌いな人々(例えば、安倍とかトランプとか)」の幸せを祈る気にはなれない。まずは本当に祈りたいことだけを唱えておきたい。

私は幸せでありますように
私の親しい人々が幸せでありますように

2017/12/06

『希望のかなた』




35mmフィルムの深い味わい&色合い、淡々としたセリフ回しと独特のテンポ、ひねりをきかせたユーモアと極上の音楽、そして、じんわり沁みてくる無償の優しさ……

いま、最も注目し敬愛する映画監督「アキ・カウリスマキ」の6年ぶりの新作『希望のかなた』は、北欧フィンランドの首都ヘルシンキを舞台に、生き別れの妹を探すシリア難民の青年が、レストランのオーナーとその仲間たちに出会い、彼らの小さな善意に救われる物語。(いつもながら、社会的「弱者」に対する視線があたたかい)

カウリスマキの映画を観た後は、妙に心も足取りも軽くなる。その日(2日)も「ユーロスペース」を出てから「109」、その脇の階段を下り副都心線の渋谷駅まで。急ぐ理由もないのに弾むように(傍から見れば、そうは見えないだろうけど)歩いていたせいか、あっという間に着いてしまった。

はて?なぜ、そんな気分になってしまうのだろう……「映画とは、一日一生懸命働いた人が その日の終わりにリラックスし、楽しむために観るエンターテインメントだ」「シネマによってその日をリフレッシュできて、 翌日いい人間関係が築けるのであれば、その映画は成功じゃないかと思う」と自身が言っているように、カウリスマキの映画は、社会の片隅でコツコツ働く人々や名もない市井の人たちの心に寄り添い、あたためるもの。
それゆえ彼の映画は、日常の中で味わう小さな不幸(当の本人にとっては大問題だが)や、小市民的な幸せにこだわり続け、経済的に成功するのが幸せじゃない。お金がなくても、好きな人とどこかの町で暮らせればいい。小さなお店や地味な仕事がうまくいって、夫婦仲良く暮らせればいい。仲間と楽しく過ごせればいい……そんな静かで優しいメッセージを込めながら、欲張りな私たちが中々気づくことのできない“幸せ”を感じさせてくれるのだ。

この『希望のかなた』も、そんな作品のひとつ。

ドナルド・トランプの時代への
アキ・カウリスマキからのプレゼント

予告編を観た際に目に留まった「スクリーン・デイリー紙」の記者の言葉通り、不寛容がはびこる社会で生きる私たちの心の拠り所にもなりうる映画だと思う。

というわけで、「今度のカウリスマキも凄くイイよ。観に行けば?!」と近しい友人たちには勧めているのだが、如何せん単館上映(東京1ヵ所、神奈川1ヵ所。他の道府県は今の所なし)。
横浜在住のHIROKO嬢は「ジャック&ペティ」があるからいいとして、福岡のHIRANO君や北海道のSINYAに勧めても観る小屋がない。
せめてもの慰めに、プログロム冒頭に載っていたカウリスマキのメッセージを読んでイメージを膨らませてほしいと願っている。

私がこの映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くことです。

ヨーロッパでは歴史的に、ステレオタイプな偏見が広まると、そこには不穏な共鳴が生まれます。臆せずに言えば『希望のかなた』はある意味で、観客の感情を操り、彼らの意見や見解を疑いもなく感化しようとするいわゆる傾向映画(階級社会及び資本主義社会の矛盾を批判したプロレタリア映画)です。

そんな企みはたいてい失敗に終わるので、その後に残るものがユーモアに彩られた、正直で少しばかりメランコリックな物語であることを願います。一方でこの映画は、今この世界のどこかで生きている人々の現実を描いているのです。

ちなみに、アキ・カウリスマキは小津安二郎の映画と「サッポロ・ビール」をこよなく愛しているそうだ。(この映画でも爆笑モノの日本愛が炸裂するが、それは観てのお楽しみ)

以上、今年の「勝手にコトノハ映画賞」最優秀作品賞、決定です。

2017/12/03

10日間のメモ③(ラスト)



11月26日、27日(日、月)
日がな一日、仕事……先日、明石での打合せを踏まえ「営業案内パンフ」のキャッチ&ボディコピーを再考。2日がかりで書き上げた。

27日夜の「クローズアップ現代+」は、サブちゃんとキタサンブラック……その強さの秘密はハードな調教に耐えられる丈夫な体にあり。人も馬も体が資本、健康第一ということか。

11月28日(火)
午前中にページ構成、レイアウト上の注意点をまとめ、午後、デザイナーのUEちゃん(&MIYUKIさん)と打合せ。あとはデザインの上がりを待つのみ。

夜は、MIYUKIさんにもらった北海道の「長芋」をすりおろして、とろろ芋に。

11月29日(水)
仕事の手が空いたので、録画していた番組を一気鑑賞。

まず1116日にBSプレミアムで放映された《英雄たちの選択「本当の幸いを探して 教師・宮沢賢治 希望の教室」》(司会:磯田道史、渡邉佐和子、出演:赤坂憲雄、高橋源一郎、大島丈志)……時代の逆風に晒されながらも「みんなの本当の幸い」を探し求めて前へ進もうとする賢司の姿に、惹かれ続けている人たちの熱く深いトークが展開される60分。

賢司が東京に上京した際、神保町辺りで春画を買い漁って同僚に土産代わりに配ったという話は何処かで聞いたことがあるが、それを教材に農学校の生徒たちに性教育を行っていたという話には「へえー、そうだったんだ」と少しビックリ。
生涯、女性と深く関わらなかった賢司が行う性教育とは、どんなものだっただろう。その教室の隅で彼の授業を聴いてみたいと思った。(賢司同様、私も岩手生まれ。「風の又三郎」の幻燈などを通して、幼い頃から賢司の童話や歌に親しんできたが、この話を聞いてますます彼の人生に興味が湧いてきた。高校時代の恩師も編集委員として名を連ねている「賢司全集」、改めて読み始めようかな…)

続いて、ETVEテレ)特集「ロシア革命100年後の真実」(1125日放映/60分)。

私もその昔、大した知識も思想性も持ち合わせてないのに、民衆蜂起による社会主義革命と、その指導者レーニンに対して、漠とした憧れを持っていた多くの若者の一人だったが、革命後の熾烈な権力闘争(後のKGBによる「反革命分子」の殺害)も含め、ロシア革命は一千万人を超える死者を出した「血に彩られた革命」であり、本来“憧れ”などという甘い感傷とは無縁の世界にあったもの。
また労働者の解放といっても、「労働者と農民が中心になって作る平等で平和な社会主義国家」を目指したレーニンの理想からはほど遠く、その内実は「皇帝のために働け」から「ボリシェビキのために働け」に変わっただけ。労働者及び大衆に平等と平和と自由を期待させていた分、余計に罪深い気さえしてくる。

というわけで、革命への憧れも幻想もすっかり消え失せ、今は「自由のない平等」より「自由のある不平等」の方がまだマシ。と、かなり冷めた目で見ている自分が、テレビで「ロシア革命」の暗部を見せられても、がっかりすることや驚くことはないはず……と思って観ていたが、次々に公開されている当時の極秘資料の中に、抵抗する民衆に向けた毒ガス兵器使用の命令書があったことには、一瞬、背筋が凍りつくほどの衝撃を受けた。もちろん、命令書に記されたサインは革命の指導者「レーニン」その人のもの。番組では、毒ガスで鎮圧されたタンボフの農民蜂起の現場取材の様子も映されていた。(そんな「革命」、絶対にいらない)

録画の最後はBSプレミアム 金曜夜8時の「赤ひげ」。山本周五郎のヒューマニズム溢れる世界をテレビで味わえる嬉しさ。“平成の赤ひげ” 新出去定役の船越英一郎の演技が光る。(三船敏郎の「赤ひげ」とはまた違った魅力。独特の優しさと繊細さを感じる。青年医師・保本登役の中村蒼もイイ感じ)



2017/11/30

10日間のメモ②




11月22日(水)
クライアントとの打合せのため、103分東京発の「ひかり」で西明石へ。
西明石駅でY君と待ち合わせ、会社が用意してくれたタクシーに乗り、1時間ほどで「K工場テクニカルセンター」に着いた。
到着後、すぐに社長以下5名の方が居並ぶ会議室へ。軽く挨拶を交わし、頂いた珈琲を飲み、14時半過ぎに会議スタート。


その場の成行きで進行役を務めることになったが、訴求点・問題点を再整理する中で比較的スムーズに方向性が固まり、全員の意志一致がとれて2時間ほどで終了。
その後、Y君と二人、社長も同乗する社用車で宿泊場所の「グリーンヒルホテル明石」へ。

チェックイン後、ロビーで待ち合わせ“酒場放浪記”……雨の中、明石駅から電車に乗り三宮で下車。西口から歩いて3、4分の割烹料理店「味勧屋(みかんや)」の暖簾をくぐった。

「社長に連れて行ってもらった店だけど、すごくコスパがいいよ」というY君が予約してくれた店だが、聞いたとおり先付から〆の鯛メシまで文句なしの美味しさ。酒も進んだ。

二軒目は明石に戻って、何度か利用したことのある駅ナカの串揚げ屋さん。安い!早い!旨い!の三拍子揃った大衆的な店だが、私的には、やや格調も値段も高い「味勧屋」よりこっちの方が居心地良し。


11月23日(木・祝日)
22日の会議が思いのほかスムーズに終わったので、予備的に用意していた10時からの打合せは無し。
お陰で時間的には余裕たっぷり。ブラブラ歩きで晩飯用の食材でも調達してから帰ろうか……と、9時半にホテルをチェックアウトし、明石の台所「魚の棚商店街」に向かい、そこで、鱧一匹(長くてデカくて900円)と、玉ねぎ天、れんこん天、たこ天を買い、11時前に明石を発った。

帰りの車中での“旅の友”は、「俳句はドラマだ。心の声を表したい」と語る友人T君の自叙伝的「俳句論」と句集が掲載されている句会誌『毬』(10月号)。(10月にT君から送られてきたのだが、じっくり目を通していなかった)

俗人と言はれ続けて端居する
木の芽張る国家より重き人ひとり
出口なき家といふ箱鱗雲
思想家の逝く日や花の種を蒔く
夏帽の黒と決めかね旅ひとつ
立春や白湯飲み今日の声を出す
春が来た衣食住俳さらに俳

出会ってから40年、「俳句」がそれほどまでに彼の人生に影響を与え、生きていく日々の活力と心の潤いをもたらしてきたことを、迂闊にもあまり知らずにいたが、年々研ぎすまされていく言葉の数々……その作句からは、「非日常の視点、つまり詩的態度、詩心を養い高め、思想的な態度を失うことなくいきたいものである」というT君の心の声が聞こえてくるようだった。

午後3時過ぎ帰宅。夜は鱧鍋。

11月24日(金)
午前中は気分的なリフレッシュを兼ねて近くのヘアーサロン(床屋さん)へ。
担当のTIBA君(25歳)が相撲好きということで、話題は「日馬富士問題」……でも、この件に関しては「暴力はダメ。まして礼儀・礼節を重んじる人間が、礼節に最も反する暴力を振るって良いわけがない」「貴乃花親方は相当頑固で変わった人(協会の体質を変えたいなら、自分の味方を増やした方がいいのでは?)」「酒席で説教はするべからず」という以外、語ることなし。
(それより、あれほど“国難”を煽っておきながら、国難もモリカケもほったらかして、四六時中この問題を騒ぎ立てるメディアに即引退を迫りたい)

疲れていたせいだろうか、髭剃り中に一瞬寝落ち……家に帰ったら、刷り上った年賀状が届いていた。(今年もMIYUKIさんの写真と私のコピーのコラボ。まずまずの出来)

午後は仕事と読書。夜はテレビ「ドキュメント72時間“もみほぐし店”」を観ながら就寝。


2017/11/29

10日間のメモ①




11月19日(日)
新宿シネマカリテでホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』(脚本・監督:アレハンドロ・ホドロフスキー/フランス、チリ、日本/2016年)を鑑賞。

意思の赴くままに独自の映像世界を操り、言葉と共に生き抜いてきた御年88歳の巨匠ホドロフスキー。その最新作は、まるで夢を見ているような……詩的で、示唆的で、色と音と愛(エロス)が溢れる幻想的な映画だった。(90歳間近にして、まったく衰えない情熱&イメージの豊かさ!まさに驚愕の一言)

11月20日(月)
この日も映画(忙しくなる前に“観だめ”)。新宿シネマートでコリアン・サスペンスアクション『密偵』(監督:キム・ジウン/韓国/2016年)を観てきた。

日韓併合直後の1920年代の朝鮮半島と上海租界を舞台に、日本からの独立を目指す武装組織「義烈団」と総統府刑務局(日本警察)の熾烈な戦いを描いた“諜報サスペンス”の力作。
140分の長尺ながら、ジリジリするような緊迫感が全編に漲り、中弛み一切無し。良質の韓国サスペンス映画らしい熱量の高さに圧倒されながら、満ち足りた気分のままに向かえたエンドロール……というわけで“面白さ的”には、今年のベスト1。
主役の総統府刑務局警務イ・ジョンチュル役に名優ソン・ガンホ、「義烈団」の団長役にイ・ビョンホン、そして「義烈団」のテロ実行部隊リーダー役にコン・ユなど、韓国のトップスターを揃えたキャスティングも実に魅力的(特にソン・ガンホ!)、クライマックスに流れるラヴェルの「ボレロ」もゾクッとするほどピッタリで効果満点だった。

で、映画からの飲み会……場所は池袋の「魚金」(17時~)、面子は仕事上の盟友でもある経営コンサルタントのY君、今年の春に大学を退官したO君、そして私。酒席での話題は12月に総勢6名で行く「ベトナム旅行ツアー」を中心に「ネトウヨ」「安倍とトランプ」「立憲民主と小池・希望の党」「憲法と安全保障」「小林よしのり」「山尾しおり」「森ゆうこ」「義家弘介(あの、クズ野郎!)」「菅田将暉」「陸王」「高倉健」「高橋克実」「宇多田ヒカル」「日馬富士」等々(ほとんど脈絡なし)。
二次会はどこの飲み屋も一杯だったので池袋警察近くの中華料理「蘭蘭」で鉄鍋餃子、鶏肉とカシューナッツの炒め物などを肴に、3人で紹興酒ボトル1本を空けお開き。
帰り際、法学者のO君から彼が著した『憲法改正限界論のイデオロギー性』という小難しいタイトルの本を頂いた。帯に書かれた一文は「憲法学よ、心配はいらない。憲法が法であることの証明など、誰にもできないのだから。」……???(パッと見、実に読みにくそうな本だが、親しい友人の渾身の一冊。時間をかけて読み切るつもり)

11月21日(火)
日中は仕事。明石のクライアントに依頼されている「営業案内(パンフ制作)」に関して、先方からメールで送られてきた“アピールポイントの整理”に目を通しながら、訴求点・問題点をノートに書き出し、展開案をイメージしながら出張の準備を整えた。
夜は、テレビを見た後(ニュースステーションなど)、O君の著書を読みながら就寝。(やけに長~い“序章”を読んでいるうちに、勝手にまぶたが閉じてしまった)